「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

子供なりの苦悩

こんにちは。

いかがお過ごしですか?



昨日、息子と泣きながら話した内容について、今日は少し綴らせていただきます。



「え?そんなことで泣いたの?」



…なんて、笑わないでくださいね?(笑)





14歳の息子にとって、学校の友達との関係性というのは、ほとんど全てと言っても過言ではありません。



そして、今の時点で、友達との信頼関係の築き方や、気の合わない友達との関わり方をどう工夫してゆくかが、今後社会へ出て、大きく意味を成してくれると私は考えています。



大人と同様、


「気の合わない相手との関わり方」


や、


「気が合う相手の中にある嫌な部分の克服方法」


が、彼の現状の課題でした。



彼は、私に、こう言いました。



「まず、お前が俺に、俺の嫌なところを言ってくれ。そうしたら、俺が今度は、お前の嫌なところを言うから、お互いにそこを直そう。」


そのように、友達に提案するそうです。



すると友人は、ここが嫌だから直して欲しいと息子に伝えるそうです。



そして彼は、



「でも俺はお前のこういうところが嫌だ。だから、お互い様だろう?」



と返すそうです。




「お互いに、直せるように気をつけよう。」



そうやって相手に言うんだけど…変わらないから、そこから先には進まない。



どうしたらいいかわからない、と私に言いました。




そのやりとりを続けた結果、関係性が改善されてゆく見込みが薄いことが、すぐにわかりました。



互いを責めあって、そこを改善してゆけるほど、子供たちはまだ成熟していないことがわかりました。



ましてや、大人にだってそれは、とても難しいことだから。



自分の非を言葉にして伝えられて、素直にそこを改善すべく自分と向き合える人というのは、世の中に、それほど多くはいないはずです。



だから私は、彼にこう伝えました。



もしも誰かに、自分の非を責められたら、反対に、あなたは、相手の好きなところを見つけて、そこを褒めなさい、と。



そして、その言葉を発している時の自分自身の気持ちをよく感じなさい、と。


本心から思ったことでなければ、伝えても意味がない、と。



「わかった。お前は俺のそういうところが嫌なんだな?でも俺は、お前のこういうところが好きなんだ。だから俺は、お前と仲良くしたいんだ。」



と、伝えなさい、と言いました。



そうしたら彼は、涙を流しながら頷きました。



彼が、ちゃんと私の言葉の意味を理解し、受け取ってくれたことがはっきりとわかり、私も嬉しくて泣きました。



彼は、必ず私の言葉を実践してくれるであろうことがわかりました。



そして、次に会う時、彼の心がまた挫けそうになっていたら、ブレずに同じように言葉を交わそう、そう思いました。



私自身も、彼に掛けた言葉に恥じぬよう、その言葉に嘘偽りのような薄っぺらい誤魔化しが混じらぬよう、自分の日々で、同じように生きようと、固く決めました。



「大切なことを毎日忘れずに生きる」



というのは、難しいことのように感じられるかもしれません。



しかし、自分の大切な人に対して、その人と離れている時も胸を張って生きられる、ということは、巡り巡って、自分自身を大切にできている、ということでもあります。



私の息子は、幸いにも、身体も大きくて、いじめを受けるようなタイプではありません。



ですが、全ての子供たちが私の息子と同じとは思っていません。



安易に、私と同じような言葉を掛けてしまうことは、危険だと思います。



人は、皆それぞれ、個性を持っています。



大人であっても、子供であっても、それは同じです。



「どのように現状を打破すべきか。」



「問題を克服すべきか。」



それは、全ての人の、全てのケースによって、違うはずです。



しかし、根底では皆、一つに繋がっているとも考えられます。



みなさまが、自分なりの愛の示し方を追求し、現実に叶えていかれますよう、陰ながらお祈り申し上げております。



長くなりました。



息子の話は、今日で終わらせていただきます。(笑)



退屈な思いをされた方がいらしたら、申し訳ありませんでした。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


心から感謝致します。


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息子

みなさん、こんばんは。

いかがお過ごしですか?





私は今、14歳の息子と過ごしています。



訳あって、離婚した後は元旦那さんに養育されている、私とは苗字の異なる一人息子です。



年に数回、まとまった休みの度に、私は彼と数日過ごします。




彼は幼い頃から、大人びた考え方をする、一風変わった子供でした。




小学校一年生の時に離婚してから、私は、彼との距離感をずっと、自分の中でコントロールしてきました。



「産んだ子供を手離す」



ということの意味は、おそらくは、他者には受け入れられにくいことであると、私はよく理解しています。



人というのは、他者の事情を推察する時に、とても安直で、うがったものの見方をする傾向にあります。



わかりやすく言えば…



「女親が子供を引き取ることが普通なのに、それができなかった、ということは、そうせざるを得ない事情があったはず。」



という偏見です。



私は、そう人から判断される可能性の高いことをわかっていながら、人の意見を否定しきれない自分を、ずっと見つめてきました。



私が離婚した事情は、他に好きな人ができたから、ではありません。



私は、子供を捨てたつもりは一切ありません。



けれど、息子にしてみれば、いかなる事情があったにせよ、自分の側にずっといてくれない母親には違いありません。



ですから、普段、日常的な心のサポートをしてあげられない分、彼の葛藤や、悩み、傷、そういうものは、私にできる限り集中して、会っている間に癒すことをしてきました。



離れて暮らすことを受け入れた時点で、私にとって彼は、精一杯、自分へ依存させないように、自立できる距離を保ちながらも、愛を伝えなければならない人でした。



なるべく、母親のいない寂しさを感じさせないように配慮しながら、女性を憎んだり、恨めしく思わずに済むように、彼を守りたかった。



ギュッと抱きしめて離したくない想いを、全力で押し殺して、それでも愛している、という想いを伝えるためにできることは、彼の心に、彼が私を必要としている時、適切な距離を保ちながら寄り添うことだけでした。




私は、息子のお陰で、自分の思考に幅ができたことを、今さらながら痛感しています。




今、14歳の彼は、まだ未熟な精神ながら、とても心根の優しい感受性の豊かな少年に育ってくれました。




私は、彼を誇りに思います。




今日も、二人で泣きながら話をしました。(笑)




子供たちには、子供たちなりの苦しみがあり、考えがあり、わからないことを、わかるように教えてほしい、導いてほしいという意思があります。




それを導き、これから歩んでいく道に光を照らしてあげることが、私たち大人の役目であると、改めて思いました。




自分が先に暗闇を照らさなければ、大切な人に安心して委ねてあげられない…



新年を迎え、より一層身の引き締まる思いでおります。




子供たちの、明るい未来を願います。







最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から感謝致します。



みなさま、今年もよろしくお願いします!

(^-^)










生きる意味

こんにちは。

いかがお過ごしですか?





私の母は、頑固です。(笑)

人の言葉に耳を貸そうとはしてくれません。



いつも私たちが変化を促すと…



「あ〜そう、あたしが悪かったよ。すみません、すみません。」



と、話を遮ります。



そして、時間が経つとまた、同じことを言っては私たちを困らせ、エンドレスでこれを繰り返します。(笑)



母の口癖は、


「あたしが死んだら、保険金であんたたちを楽にさせてやるから。」



です。(笑)



…私は、いつも、この言葉に涙が出そうになる程傷付きます。



家族が亡くなって手にするお金に、私は、価値を見出せません。



母の命と引き換えに大金が手に入っても、私は、全く嬉しくありません。



たとえ、憎まれ口しかきこうとしない、母性の弱い母親でも、顔を合わせれば愚痴ばかりでも、年々意固地になってゆこうとも…



私は、母が生きていてくれることが何よりだと思っています。





人の命は、儚くて、尊い




私は、


「人は死んだら無になるもの。」


だと、思って生きています。



死んだ後、亡くなった人の魂を供養したり、成仏を願ったり、生きている人たちは、様々、生きていた頃の姿と、亡くなった後の姿とを結びつけて偲ぶ風習がありますが…



失礼なことを申し上げているかもしれませんし、誤解を招く表現かもしれませんが、人は、



「いかにして自分の人生を生き抜くか。」



が全てだと思っています。




だからこそ、



「いかにして他者にその人の人生を生き抜いてもらうか。」



という課題も一緒に背負っていかなければならぬもの、だと思います。




「死は全ての人に免れようのないもの」


でありながら、



「死を見つめて怯えながら生きる」


のではなく、



「死を迎える瞬間まで精一杯生き抜く」



ことに意味がある。



それが、全ての人に等しく課せられた責務であると、私は思います。




それを忘れずにいれば、日々の生活の中で起こる様々な出来事一つ一つに意味があり、それら全てが、大切な思い出になり得る価値のある出来事だと、認めざるを得ないのではないでしょうか。



全ての出来事に、意味と価値を見出すのは、自分自身です。



意味のない日、価値のない日、などきっと本当はありません。



1分1秒、全ての瞬間に意味があります。



それに気づき、自分の生きる日、生きる世界に意味と、価値を生み出すのは、自分自身です。



自分の一挙手一投足に全力であれば、意味も、価値も、自ずと生まれてきます。



誰にでも、全ての人に、生まれてきた意味と、命の価値が等しくあります。




「人は、生まれながらにして愛そのものである」



私のブログタイトルである


「性愛説」


とは、みなさんにそれを忘れずに生きていただくための意味を込めてあります。




性善説」、「性悪説」、で世の中は変わるでしょうか?




私には、そうは思えませんでした。






2018年も今日で終わります。


この数ヶ月、ブログを介してお世話になりました皆様、本当にありがとうございました。




来年もよろしくお願い致します。(^-^)





最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から、感謝致します。


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自信

こんにちは。

いかがお過ごしですか?




なぜ、自分を否定した人、自分の思い通りにいかない人を憎む気持ちがわくのだと思いますか?



それは、


「自分が正しい」


と、思い込んでいるからです。




本当に自分を正しいと思っていい時というのは、



その選択の結果、誰一人として、傷つく人がいなかった場合だけです。



そこに、



「損得」や、「世間体」や、「常識」などの「全ての人」に必ず当てはまるわけではない基準を介入させる時、人は、誤った判断を下してしまいがちです。



考える指針そのものが、正しくないのです。



自分の軸とするべきもの自体が、最初から偽物だったのです。




「自分が正しい」



という、自分自身すら制限してしまう価値観は、もう脱ぎ捨てて良いものではないでしょうか?



自分を苦しめている価値観は、自分から、取り除いて大丈夫です。


本来は、不要なものです。




「自信」


というものは、


「自分を正しいと思うこと」


ではありません。



「自分は誰も傷つけなかった」


という事実の塊です。



自分も、自分以外の人も、同じように守ることができた…という経験の積み重ねによってのみ養われてゆく輝きです。




「自分が正しい」


という考え方は、必ず、別の誰かを


「あなたは間違っている」


と定めなくてはなりません。



でも、その基準自体が、そもそも


「誰から見てなのか?」


と考えたら、いかに曖昧で不明瞭なものであるか、わかるはずです。



「誰からみても」


という確信が持てなければ、本物の


「自信」


は、一向に育ってはくれません。




そのために試行錯誤を繰り返し、様々な可能性を想像し、日々の中で検証してゆき、擦り合わせてゆき、大切に育ててゆくものがあります。



「愛」



です。




異性や、動植物、子供たち…対象となるのは、生きとし生けるもの全てです。




「自分の中に眠る愛」を探し求め、取り戻し、その姿に自分自身を帰してゆく日々が、全ての人に対して、あなた自身から滲み出てゆくようになる「自信」となります。




一生懸命、人間らしく生きていれば、誰にでもできることです。




格好や、体裁などにとらわれず、素直で正直な自分を生きれば、いいんです。




不器用でも、嘘偽りなく一生懸命であれば、必ず、救いの手を差し伸べてくれる人に出会えます。




同じように生きている誰かが、必ず、救いの手を差し伸べるために、そこにいてくれます。




大丈夫です。










<私が、あなたを見つけます。

あなたが一人傷つき、悲しんでいたら、

私があなたに微笑みかけます。

そして、あなたを守ります。



あなたがこれまで、

どれだけ一生懸命であったか、

わかるから。

私と同じと、わかるから。



私たちは、互いに、気付けます。



だから、

恐れることなく生きてください。

人間らしく、そのままに。



大丈夫。


あなたはいつも、ひとりぼっちではないから…。>









悲しむ人が、一人でも減ってくれますように、今日も願います。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。





心から、感謝致します。


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みんなの本心

こんにちは。

いかがお過ごしですか?




人が、人に与え得る最大の宝は、「愛」であると思います。



そしてそれは、その一つ一つが決して偉大であったり、大きかったり、激しかったりしなくても、「積み重ねてゆくこと」に、意味があるように私は思います。



ある一つの出会いがあり、その人との縁が生まれたなら、その人を嫌うために繋がるのではなく、その人を愛するために繋がりましょう。



その相手が、たとえどのような人であっても、です。




最初にお伝えした通り、「愛」は、大きければいい、激しければいい、というものではありません。




ささやかであっても、「愛」は、「愛」です。



私の言わんとしていることをご理解していただけるでしょうか…。




裏を返せば、



「自分から人を傷つけたり、苦しめたりせずに生きましょう。」



と、お伝えしています。



どのような行いが、人を傷つけたり、苦しめたりするのかを、ちゃんと、わきまえて生きましょう。



傷つけていい相手は、この世に一人もいません。


そして、苦しめていい相手も、この世に一人もいません。




もしも心ない人によって、不運にもそのような目に遭わされてしまった時には、同じ想いをする人がいなくて済むように、願いましょう。



そのように、生きてゆきましょう。



確かに、苦しかったでしょう。

本当に悔しかったでしょう。

辛かったでしょう。



そして、今でも、許せない気持ちでいっぱいでしょう。



それでも、自分の所で、終わらせましょう。



人を罰しても、同じ目に遭わせても、自分の心の傷が消えるわけではありません。



それどころか、新たな傷を自分に負わせてしまうことになります。



誰か、得をする人がいるのでしょうか。



きっと、誰一人、得をする人はいないはずです。





「繋がり」とは、「生きる」ということでもあります。



人は、決して、独りきりで生きてゆくことを望んで生まれてきたわけではないでしょう。



孤独に嘆き、一生を終えることを望んで生まれてくる命は、きっと一つもないと思います。



そして、傷つきたい人も、苦しみたい人も、本来は一人もいないはずです。



それなら、みんなで、互いの望みを叶えあいましょう。



簡単なことなのに、難しくしてしまっているのは、私たちが臆病だから。



そして何より、切実に、本当はそうして生きていかれることを望んでいるから。



私は、そう信じています。




可哀想で、辛くて、これ以上、傷つけ合う人たちを見たくありません。



「理解」は、自分から、始められます。



最初の一手は、「自分」から打つことができます。


他者の変化を待つのではなく、自分が先に、それに気づきましょう。





悲しむ人が、一人でも減ってくれますように、今日も願います。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。



心から、感謝致します。



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氷山の一角

こんにちは。

いかがお過ごしですか?




私は、既に2019年の新たな課題を設定しました。(笑)



みなさんは、今年一年を振り返り、いかがでしたか?



反省点、そして、自らの課題が、見えましたか?




2018年の私の課題は、「継続」でした。



そして、来年の課題は…


「ルーティンワークを攻略する」


に決めました。(笑)



一年の抱負というのは、その一年が終えたら終了ではなく、新たなプレッシャーを自分自身に課すため…という意味もあると思います。



ですから、「継続」は来年以降も引き続き私が果たすべき課題であり、そして、さらなる向上のために、設定したのが、2019年の課題です。




私は、


「平凡の中にある細やかな感情を見つけては、一喜一憂している人」


です。



ざっくり言えば、


「ひとりで勝手に直情型」


とも言えます。



そして、それを、極力、他者に悟られないように生きています。(笑)



正確には、



「正のエネルギー」


が自分の中に起こる時は、それをなるべく素直に他者に表現することに努め、逆に、



「負のエネルギー」


が自分の中に起こる時には、それを極限まで自分のストレスとして、一人きりになれる空間まで持ち帰ります。



できる限り、余計なことを言わないように踏み堪え、外側に発信しないように努めています。


そして、他者から負のエネルギーをもらいそうになった時には、心をシャットアウトして、自分を守ります。



絶対に、同調により負のエネルギーをそれ以上大きくしてしまわないように、踏ん張ります。



まだ完全にはできないため、多少影響は受けてしまいます…が、だいぶ上手にコントロールができるようになってきた、という自負はあります。(笑)



自分自身が生み出してしまった負のエネルギーは、一人になった時、無音の状態で浄化させます。



それらのほとんどが、数時間で浄化できるようになりました。



生きている中で、日常的に与えられているエネルギーアタックは、そのほとんどが、こまめに、気長に、落ち着いて分析をしてゆけば何とかなる程度のものばかりです。



慣れてくれば、一つ一つのケースを区別化した上で、数種類に分類できるようになり、自分の思考の傾向も見えてくるため、いくつかのパターンの使い回しで対応できるようになります。



けれど、その作業をこまめにせずに、次に持ち越し…を繰り返していると、ガクッと辛くなったりします。



ですから、「浄化」は、日々こまめに…が理想的です。(笑)




一人になってから、自分がその日に生み出してしまった「負のエネルギー」、すなわち「ストレス」を振り返り、それが引き起こされた原因を究明します。



その時に、必ず自分自身に言い聞かせる言葉が、


「人の思考を決めつけない!!」


という言葉です。



何度でも言って聞かせないと、すぐに耳を塞ごうと悪あがきをします。(笑)



そして、自分の課題が生まれます。



いつも、原因は「自分」にあります。

必ず、です。

(あくまでも、私の場合は、ですが。)




そして、そのようにして向き合った結果、変えることのできた自分の言動は、そのまま、今の自分の実生活に反映されます。



つまり、変えるべくして行った言動により、一年前と今は、大きく変わりました。



それでも、また新たな気づきは訪れます。



新たなストレスにも、出会います。



そして、私はまた、三ヶ月後、一年後の自分のために、そこに向き合い、乗り越えるべくして、自分を見つめます。



自分にできる限りの想像力と工夫を駆使して、人の思考の可能性をさまざまに想定します。



そして、しっくり来て、なおかつ自分を責めるわけでもなく、他者を責めずに済む可能性を見つけた時、そこを私の「解」に定めます。



相手に問いただすことはしません。


私は、争いは好みません。

疲れるし、悲しいからです。



自分にそのつもりはなくとも、「双方の意思の確認作業」というのは、争いを招きやすいものであると思います。



ですからそこは、本当に必要な人と、必要な時にしか、しません。



私の栄養は、「笑顔」です。(笑)



きっと、みんな同じだと思って生きています。(笑)



あながち…


間違ってはいませんよ、ね?




今日は、今年一年を振り返り、私の脳味噌の中に、みなさんをご招待してみました。



退屈だった方には、本当に申し訳ありませんでした。



人の思考とは、果てしない広がりの中に、窮屈に押し込められているようなものであると思います。



自分で把握している自分自身の思考というものは、きっと、氷山の一角です。



自分の本質を探り当て、少しずつ、現実の中で外側へと出していってあげてください。



それがきっと、あなたの「愛」です。




来年の課題である


「ルーティンワークを攻略する」


については、また別の機会に綴らせていただきます。(^-^)




最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から、感謝致します。


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「受動」から「能動」へ

こんにちは。

いかがお過ごしですか?




人を楽しませる一番の方法とは…

何だと思いますか?



人を感動させる一番の方法とは?



人の心を動かす一番の方法とは?



人に好かれる一番の方法とは?



これらの答えは、きっと全て共通していると、私は思います。



全ては、まず、「自分」がその状態になること、です。




他者の目を気にしたり、他者の意識に集中し過ぎると、「自分の感情」というものは、陰を潜めてしまいます。



「人を感動させたい」



と思う時、人は、誰かが感動するような情景を思い浮かべて、なにかを作り出します。



しかし、作り手がそこに込めるはずだった本来の個性は、「他者の感動」を基準にした時、その本質が見失われます。



つまり、その結果出来上がるものは、「自分が感動するためのもの」ではなく、「誰かを感動させるためのもの」になります。



他者の感情を前提としているため、一体感は当然薄れてしまいますし、臨場感や、リアリティも自ずと、減ってしまうでしょう。



そこに生まれるエネルギーは、「自分」を基準にしていないため、望むと、望まざると…弱まってしまうのです。




一番大切なことは、どのような感情であるにせよ、誰かの心に届けたい、誰かの心を動かしたい、と思うのなら、まずは、



「自分の心を動かすこと」


「自分自身がその感情を感じ切る」



ことです。




人を本気で楽しませたいなら、まず、自分が本気で楽しむことです。



人から本気で好かれたいなら、まず、自分が本気でその人を好きになることです。



人から人に、無言のうちに伝わるエネルギーというのは、良いものも、悪いものも全て、発する言葉よりはるかに大きな力を持っています。



「今を生きる」



ということが大切な理由は、ここにもあります。



試しに、今、目の前にあること、今目の前にいる人に対して、常に全力で向き合ってみてください。



その必要性は、きっと、一つの出来事、一人の人に対して真摯に向き合ってみた時に初めて、自分がいかに今までそうしてこなかったかが、わかるはずです。



そして、なぜ、自分には、相手の心を動かすことができなかったのか…がわかってくるはずです。



「失敗」の理由は、「自分自身」に非があることが、ほとんどです。


そして、たとえそうではなかったかもしれなくても、


「そうであったかもしれない」


と考えられるように、向き合ってゆくことが、


「自分の人生に対する責任」


です。




「自分」として生きてきて、これからも「自分」として生きるしかない私たちにとって、そこから目を背けたり、言い訳をすることが、何よりも無駄であることに気づいていただけるでしょうか?




いきなり全ての人に対して、そうしてみてください?とは、言いません。


そんなことは、きっと不可能です。




だからまず、対象となる相手を選別する際には、自分自身と、その出来事、あるいは人に対しての「縁」を基準に選別すると良いでしょう。



「大嫌いな人」



「大好きな人」



「切っても切れない縁の人」



「向き合い、乗り越えなくてはならない壁」



「挫折」



「どうしても諦めざるを得ない夢」



「どうしても叶えたい夢」



「自分の本心」




全て、向き合うことに対して、知らず知らずのうちに恐れを感じる対象ではないでしょうか?



その中からでも、そうではない何かであっても構いません。



一つ、または一人、選んで、問題の克服の際に、またはその関係の構築の際に、「自分の感情を感じ切ること」に全力で取り組んでみてください。



本気になってみてください。



そしてそれを継続してください。



めげずに、ブレずに、柔らかく、強く。



「大嫌いな人」を、なぜ好きにならなくてはならないの?…と思われる方もいらっしゃるでしょう。



そのような人は、考えてみてください。



「人を嫌う、人を憎む、人を恨む」


というエネルギーは、あなたにとって心地よさを与えてくれるものでしょうか?



そのような人は、いないと思います。



それならば、その感情を拭い去るために思考する必要があるのでは?



それを工夫することが、それらの感情を克服する、ということです。




「人を動かす」ために大切なことは、「自分を動かす」ことです。



人の目線で生きるのではなく、自分の目線で生きるのです。



誰かの感情や思考に同調する癖がついている人にとっては、最初は難しいかもしれません。



でも、必ず、できます。



そして、そこに挑み始めたなら、決して、焦らないでください。




油断や、過剰な期待もしないでください。




あくまでも、「自分」の中だけで行なってください。




できなかったことができるようになってゆく自分の成長に、集中してください。




そこだけを見つめて、生きてください。




「別の誰か」にとって、その道が現れるのが、「自分と同じタイミングでなければならない理由や根拠」はありません。




それを決めるのも、そこに気づくのも、みんなバラバラ、それぞれのタイミングです。




自由です。




「この人にも、そんな気づきがあるといいな…。」



と、考えてあげてください。




それを伝えるべく、接してあげてください。





悲しむ人が一人でも減ってくれますように、今日も願います。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。



心から、感謝致します。


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