「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

太陽

みなさん、こんにちは。

いかがお過ごしですか?



私は、夜が嫌いです。

と、いうよりは…

太陽が好きです。



今日は、漠然とした私の主観からお話を始めることになりますが。(笑)



夜が嫌い、怖い原因は、恐らくは幼少期の思い出の中にあります。



私は、まだ物心ついたばかりの幼い頃から、夜はほとんど、一人で家で過ごしていました。



このブログを読んでいただく方に先入観を与えたくはないので、自分についてあまり深くお話することは、避けます。



ですが人は、ある一定の段階に成長できるまで、自分自身の生まれ育った「境遇」により、その人間性が形成されてゆく傾向にあるように思えます。



しかし、それは、あくまでも「理由」の一つでしかないと思います。



「理由」は、「結果」を構成する一つの「要素」に過ぎないと、私は思います。



「自分が今、こうなってしまったのは、生まれた環境のせい。」


「自分が今、こうなってしまったのは、全部、親のせい。」


「自分が今、こうなってしまったのは、全部周りのせい。」



それは、こじつけであると、素直な気持ちで見つめましょう。

自分の非を認めましょう。



「理由」の中のたった一つの要素だけで、「結果」は決まりません。



悪い結果、自分が望まない結果を招いたのは、自分自身が、たった一つしかない「理由」のせいにして逃げ続けた結果でしかありません。



一つのものごとに「とらわれる」と、いうことは、それにより、自分を「ある一定の方向に導く」ということです。



自分の中にある


寂しさ、悲しみ、妬み、嫉み、憎しみ。



そういう負の感情にとらわれた結果、自分が導かれるのは、

「負の状況」

です。



そこにとらわれることなく、原因の一部にこだわることなく、心から向き合って、望むことができるなら、人は、どのような状況からも、必ず、あるべき道、望む道を進み直すことができます。



そのためにできることは、自分自身で気づき、その「負の連鎖」を断ち切ること。



人がどうしようと、何を言おうと、何をしようと、自分は決して、揺らがないこと。



揺らぎ、また同じことを繰り返せば、すぐに元いた道に戻されます。



習慣というものは、ちょっとやそっとでは、変えられません。



それでも、諦めずにいれば、必ず、わかる日が来ます。



「生きたい。」


と願う自分の想いが。


「生きてほしい。」


と、いのちを尊重する自分の想いが。





人には、二つの道が用意されています。



逃げた先には、逃げたなりの道。


向き合った先には、向き合ったなりの道。



逃げた先に続く道は、永遠に変わることはないでしょう。


ずっと、同じところをグルグルと回っていて、やがて、とても疲れて、すり減ってしまった自分に気づくでしょう。



でも、向き合った先は、違います。



必ず、その向き合った分だけ、景色が変わってゆきます。



逃げていた時には気づくことのできなかった大切なものを、得てゆくことができます。



もし、その時、それでも足りない、まだ、満たされない…

そう思ったとしたら、また、立ち向かう。



繰り返し、繰り返し、ゆっくりでもいいから、進んでください。



自分を引き止めたり、繋ぎとめようとする誘惑に流されることなく。



「幸せとは、なんであるか。」



漠然とではなく、その本質が見えてくると思います。



そうしてゆくと、次第に、周りにいてくれる人たちにそれを広げてゆきたくなるはずです。



押し付けるのではなく、依存することもなく、依存させることもなく、ただ、そっと、伝えたくなるはずです。



そうやって、人は、愛を繋いできたのだと、私は思います。





私には、どうしても救いたい人たちがいます。


その中の一人は、「自分自身」です。



だから、今日も願いを込めて綴ります。






余談ですが、私は、太陽の日差しに照らされた青空を見上げるのが好きです。



子供の頃から、窓辺に布団を持っていき、青空を見上げて横になり、そのまま昼寝をよくしていました。(笑)


目をつむっていても感じられる瞼から伝わる太陽の光の温かさに、私はとても癒されます。


風のある日には、速く流れる雲。

風のない日には、ゆっくりと流れる雲。


それを眺めながら、樹々の揺れる音、鳥のさえずりを感じることが、私の生きる楽しみでもありました。



生きている、と実感することができます。




太陽がなければ、植物は光合成を行えず、酸素を作ってはくれません。


酸素がなければ、私たち人間は、生きていくことができません。



「生きる」という原動力を与えてくれているように、私には思えます。



本当に辛かったり、疲れきってしまっていたり、追い詰められてしまっている自分を感じていたら、ただ、青空を見上げて、のんびりしてください。



そして、太陽の光から、青空の清々しさから、「何か」を感じてください。

自分が憔悴しきっていると感じる人ほど、それを感じることを意識してください。



それは、正体はわからなくても、きっと今の自分に必要なものです。



そして、夜になったら、眠ってください。

きちんとご飯を食べて、自分の身体をいたわってください。




疲れきっている時には、余裕のない時には、是非、そうしてみてください。





長くなりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。



心から感謝致します。