「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

本物

みなさん、こんにちは。

いかがお過ごしですか?



「愛」を主張する人の言葉が、時に人を傷つけている場面を目にします。



もしかしたら、今はまだ、私のブログの中の、私自身の言葉の中にも、あるのかもしれません。




人が別の人に対して、自分の感情をぶつける時、そこに「愛」が含まれていない時、それはただの「批判」となります。



たとえ、どれだけ社会的に見て多くの良いことをしていたとしても、その時点でその人は、「偽物」になります。

その優しさは「偽善」になります。



その人は真に、「愛に通じた人」ではないことになります。



沢山のお金を福祉団体に寄付していたら、その人は素晴らしい人なのですか?



社会的な立場ある方々で、慈善活動に積極的だったら、その人は、良い人なのですか?



目を向けるべきは、その人が、


「実際にどう生きているか。」


だけだと、私は思います。



その愛は、全ての人に平等に向けられた時、初めて、「本物」になることができます。



それは、とても些細な場面で明らかになります。


その人自身が不利な状況に陥った時、その人が守りたい何かや、誰かが、不利な状況に陥った時、その対象も含め、どちらも傷つけない方法を選べる人が、「本物」です。



それでも人ですから、時には皆、老いも若きも、過ちを犯してしまうことがあります。


その時、愛に基づいて次の行動を行うことが大切です。



まず、振り返るべきは、自分の行いでしょう。


自分の行いが、自分の利益、不利益に基づいたものではなかったか…


また、後々の、自分の利益、不利益を目指してはいなかったか。



冷静に公平に判断し、素直に、謙虚に、全てを受け入れましょう。



もしも過ちを犯したのなら、素直に謝ればいい。

「誰かを傷つけてしまった自分」を認め、受け入れ、悔い改めればいい。



見栄を張ったり、虚勢を張ったり、「自分だけのものさし」で自分以外の人を縛りつけようとしたから、相手を傷つけてしまったり、怒らせてしまったのでしょう。



いつでも、自分を過信せず、決しておごらず、背伸びをせず、無理をせず、自分に嘘をつかず、素直に生きる。


そんな風にありたいと自分を見つめ続けてあげる。



そんな日々の積み重ねが、やがて、自分を本物にしてくれると、私は思います。



「本物」とは、ありのままの、「愛そのものである自分自身」の姿です。



みんなが、等しく、そう生きられるように生まれてきています。



「自分だけのものさし」に他人を閉じ込めないで、一度、自分自身も、そのものさしから抜け出させてあげてください。



とても、解放されている自分自身を感じられるはずです。

それまで見えなかった、誰かの良いところが見えてくるはずです。


憎しみが、和らいで行くはずです。




立場、職責、容姿、名声、富、権力。



そういうものが、真実の価値を曇らせている時があります。



見せかけの魅力にとらわれず、真実を見抜く目を養ってください。



それが、「愛へと帰る」あなたの道を手助けをしてくれるはずです。



自分自身を愛するきっかけになってくれるはずです。



愛で溢れた豊かな未来を願います。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から、感謝致します。