「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

言霊「言葉のエネルギー」

こんにちは。

いかがお過ごしですか?



「言霊」という言葉があります。




みなさんは、人と話している時、その人の発する言葉のエネルギーに注意してみたことがありますか?



悪口を言っている人の話を聞いている時には、なんとなく自分も、悪いエネルギーに囲まれているような気分になったり、楽しい話、興味のある話を聞いている時には、自分も良質のエネルギーに包まれているような心地よさを感じたことは、ありませんか?



人が発する言葉には、その人の感情が混じっています。



悪口を言っている人が発する言葉のエネルギーは、「苛立ち、憎しみ、悲しみ」などの負のエネルギーが。


一方、人を励ましてあげたい、勇気づけたい、楽しませたい、などの感情が込められた言葉には、正のエネルギーが込められています。



それらは、同じ空間に存在していなくても、耳で聞くだけでも、伝わります。




私は、ずっと不思議に思っていました。



たとえば誰かが誰かの悪口を言っている時、それを聞いている人は、本来は悪口を言われている人から実際に大した被害を受けたわけではないのに、なぜか、聞いていただけの人の中にも、その人に対して悪意のようなものが芽生え、次第にそれが広がってゆくことがあります。



本来であれば、実際に人を判断する時には、自分が実際に相手と関わって、その上で自分なりの感覚を感じるべきでしょう。


そして、自分と、その相手との関わり方を決めてゆくことが好ましいはずです。



しかし、自分が実際に目にしたわけではないのに、人から聞いた悪意ある評価のせいで、誤解を受けたまま、他者から正当でない評価を受けることも、世の中には多々あります。



これが、「偏見」の正体であるように思います。



人は、人のエネルギーを、言葉を通して感じ取っています。



良いものも、悪いものも等しく。



それによって、少なからず、影響を受けます。



ですが、それは、自分が始めから持っていた感情ではなく、あくまでも、元は他者が抱いた感情です。



「自分」という存在を、他者の発するエネルギーに巻き込まれることなく、はっきりと認識するように意識してみてください。



その上で、自分が感じた感情こそが、自分のものなのです。



人の感情に巻き込まれて、飲み込まれるということは、とても容易いことです。



そうしていれば、自分は考える必要もなく、また、多数派として、悪者になることも少なくなるでしょう。



でも、言われなき被害を受けた人は、どうでしょう?



また、自分がいつそちら側になるかは、わからないはずです。



全てのものごとに対して、公平で、正当な判断を、各々がすることこそが、求められているのではないでしょうか?



と、同時に、人を巻き込んで「負のエネルギー」を撒き散らし、誰かを傷つけているなら、今すぐにやめてください。



自分の口が、醜い言葉を発したり、憎しみを露わにしたり、誰かへの恨みつらみを話している時、自分がどんな感情であるか、冷静に見つめてください。



心地よいでしょうか?


楽しいでしょうか?


嬉しいでしょうか?




自分の言葉が、自分自身をも傷つけていることに、一刻も早く気づいてください。



自分を愛し、自分を大切にいたわり、自分を誉めてあげられるような自分を生きてください。



それができるようになってくると、「自分自身」が発するエネルギーの質がわかるようになってきます。



悪いエネルギーから自分を守ってあげたくなります。



その時、自分のことをとても愛しく思えるはずです。



そして、それと同じように、人を尊重し、傷つけないように生きたいと願うようになるはずです。



自分を責めて、自分を律して、人を許し、愛そのものとして生きるための一歩は、苦しいものであるかもしれません。



慣れないうちは、何度も、元いた道を引き返したくなるかもしれません。



でも、努力は必ず、実を結びます。



自分を信じてください。





全ての人が、少しずつ、今の自分を振り返り、行動を変えることで、どれだけの人の人生が変わるでしょうか。



全ては、自分の周りから。



それがやがて、大きな社会の変化として、現れてきます。



悲しむ人が、一人でも減ってくれますように。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から感謝致します。