「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

思考の産物

こんにちは。

いかがお過ごしですか?



みなさんは、「自分の思考の癖」に気づいていますか?



みなさんは、「自分自身」について、どれだけ知っていますか?理解していますか?




自分が日々抱いている感情というのは、自分自身が自覚し、その傾向を分析して、理由や、対策を考えて意識的に変えていってあげれば、いかようにも変えることができます。



自分が、「不満」ばかり抱きやすいのか。


「幸せ」だと思って日々生きられているのか。



そのような漠然とした「感情」は、何となくわかっていると思います。


けれど、



もし、不満に偏っている人ならば、



「なぜ不満なのか。」

「何に対して不満を抱いているのか。」


「どうしたら、不満を持たずに生きられるのか。」


そこに、意識を向けてあげてください。



不満、不幸を認知すること自体はできても、それを改善するためには、「思考の癖」を見直す必要があります。



あるものごとに対して思いを巡らせる時、そこから抱く印象や、自分自身が受ける影響は、ほとんどが、「自分自身の思考の産物」です。


言い換えれば、


「自分のイメージ」次第で、自分の「感情」というのは、いかようにも変化するということです。


そして、自分の「感情」の積み重ねが、自分の「思考の傾向」に繋がっています。



その「思考」の積み重ねの末に広がる世界が、自分の生きてゆく世界、目の前に広がる世界になってゆきます。



誰かや、何かに対して、自分の思い描いた通りでない時、人は、不満を抱きやすいかもしれません。



けれど、このブログの記事の中でもお話をしたことがあるように、自分以外の人の思考を完全に理解することは、不可能です。



自分の思考だけしか、人は知ることができません。


ですから、他者の思考というのは、ほとんどが、推測でなされています。



その推測をする段階で、「負の感情」に偏れば、世の中は「負の大きな世界」となるわけです。



自分が、世の中を暗くしてしまっている、と言っても過言ではないかもしれません。



どうせ生きるなら、


「幸せに生きたい」


そうは、思いませんか?



「不幸せに生きたい」

そのような人は、きっと、一人もいないと思います。



自分を幸せにしてあげられるのも、不幸せにしてしまうのも、実は、全て、「自分自身」です。



「習慣」というのは怖いもので、ずっと一つの方法しか選ばずにいると、他の選択肢というのが、まるで最初からなかったかのように、自分を制限されているかのように、見えない檻の中に閉じ込められているかのように、身動きが取れなくなってしまうことがあります。


でも、その見えない檻は、自分が作り出した産物でしかありません。



自分の力を、もっと信じてあげてください。



「自分はちっぽけな人間だから。」


「自分には、なんの力もないから。」


「自分は弱虫だから。」



そんな風に、思わないであげてください。

大切な自分自身のために、まず、自分自身を、救ってあげてください。



世の中は、自分の心の在り方一つで、どのようにも映ります。


自分の中の「愛」を信じてください。



みなさんの目の前に広がる世界が、愛に溢れ、希望に輝いてくれることを、今日も願います。



そして、悲しむ人が、一人でも減ってくれますように。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から、感謝致します。


f:id:shespoir:20181112122039j:plain