「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

架け橋

こんにちは。

いかがお過ごしですか?



「制限」された時、人は無意識に抵抗します。


それを表に出し主張する人もいれば、内に留める人もいますが、そこには、「理解し合えない」という抵抗感と、他者との間の隔たりが存在します。




しかし、

「尊重」された時、人は、無意識に、心を緩めます。


その時、他者との間にある隔たりの前に、「理解」への「架け橋」が生まれます。



「尊重」を得られた時、その一度の経験が、人に「尊重」の存在を知らせます。



互いの隔たりへ、架け橋をかける、という術が存在したことを、その時、人は

「実体験」、「経験」

を元に学ぶことができます。



そして、別の機会に、別の場所、別の人との間で、それができるものか…と、模索してみたくなります。



その時、もしも、そこでは他者から「尊重」を得られなかったとしても、誰かから「尊重」を得られた時の「希望」を、大切にしてください。



そして、自分の中の「尊重する心」を育ててあげてください。



諦めずに、たとえその時は、自分だけであっても、人を尊重する姿勢でいてください。



その時存在する無理解は、決して「孤独」ではありません。



元々は人々が、生まれながらにして持っていながら、忘れてしまっている、とても大切なものです。


そして、今は忘れてしまっているだけ、気づいていないだけです。



それを、自分が人に広め、繋げてゆくことにのみ、専念してください。



「善」、「悪」の思考には、限りがあります。



互いを、「愛」で繋ぐ架け橋を、自分が先に与えられる人でいてください。



そのような人を育てられる人で在ってください。



「尊重」は、人に無理強いをして、奪い取るようなものではありません。



互いを尊び、慈しむ心が、無意識の内に与え合っているような、それは、本当にささやかで、静かな感情です。



「尊重」を訴える人が、本当の意味での「尊重」に気づいてくれますように。



悲しむ人が、一人でも減ってくれますように。


今日も願います。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から、感謝致します。