タイムラグ
不器用な人の、不器用な想いというものは、いつまでも心に残ります。
完璧な人など、きっとこの世にはいません。
過去を振り返ってみて、とても自分を苦しめた人や、悲しませた人のことを、少し思い出してみてくれませんか?…
あまり時間の経っていない思い出というものは、自分とまだ距離がしっかり取れていないので、整理がつかないものもあるかもしれません。
しかし、自分の中でしっかり整理もできていて、気持ちを切り離して考えられる思い出の中から、一番辛かったものを思い出してみてください…
その思い出の中にいる人はきっと、とても不器用な人です。
その人は、もしかしたら、「自分自身」であるかもしれません。
誰かに傷つけられた思い出ではなく、誰かを傷つけてしまった思い出かもしれませんね?
人は、「時間」と共に生きています。
時間は、私たちを癒し、私たちに想像力を与え、許しや、気付きをもたらしてくれます。
いわゆる、「タイムラグ」というものです。
時間が経った後、緩やかに、優しく、人は傷を癒してゆきます。
しかし、これは、一方では「時間」という概念に甘えている、とも言えます。
人に与えられた「生涯」という時間は、永遠ではありません。
必ず、終わりがあります。
その上で、言えることがあります。
「タイムラグを自ら引き起こすこと。」
も、可能であるということです。
過去と現在を繋ぐ時間のものさしを、自ら、せばめてゆく思考を生み出すこともできることを、知ってください。
タイムラグに頼らず、時間がまるで経過したかのように、人を許し、自分を癒すことも、「思考」によって可能にできることを、知っていてください。
人は皆、完璧ではありません。
自分が人に、自分の思いの全てを伝えきることができないように、人もまた、自分に対して、その思いの全てを伝えきれないフラストレーションを抱えているのです。
だからこそ、
「理解したい」
「わかり合いたい」
という気持ちが大切なのです。
「理解すること」
「わかり合うこと」
は、決して、重要ではありません。
重要なのは、「結果」ではなく、「過程」だと、私は思います。
そこに込める「思い」であると。
「思い」とは、すなわち、「愛」です。
いかなる困難も乗り越えることのできる、人の最大の武器は、「愛」です。
人は愛に飢え、そして、愛を何よりも欲しています。
自ら進んで、愛を与えられる人でいてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
心から、感謝致します。(^-^)