介護対策
こんにちは。
今日は、「介護」について、記事を書かせていただこうと思います。
高齢化社会が、年々加速傾向にある近年、介護に関する問題に直面されて、お困りの方々について耳にする機会も増えております。
そこで、健康な内に私たちにできることはないのだろうか…と、考えを巡らせてみました。
私たち日本人は、その国民性から、慎ましやかで、控えめな印象を他国から抱かれております。
そして、「武士」の持つイメージの通り、静の奥に隠された気高いプライドもまた、私たち日本人の多くが昔の人々から受け継ぐ個性ではないでしょうか?
その気位の高さゆえ、高齢化社会となり、やむを得ないにも関わらず、介護をする側、される側の双方が、苦しまなければならないような問題も山積みとなっています。
しかし、人の一生を図にして描くとしたら、生まれたばかりの、母やそれ以外の保護者の手を借りなければ何もできない赤ん坊として始まり、次第につかまり立ちをし、一人歩きができるようになり、学生になり、成人し…
成長の一途を辿る上り坂のグラフを描いた後は、中年期以降、足腰も弱り、記憶力も衰え、やがて老人となり、今度は下降線のグラフを描かざるを得ない私たちでもあります。
平均寿命と健康寿命との間に数年間のギャップを持たざるを得ない私たちにとって、今後、介護に対する、「与える側、受け取る側」双方の抵抗感を払拭してゆく必要があることは、否めないのではないでしょうか?
私は、以前から…
自分に対して、理不尽な対応をされた時、自分がそれに対して、どのように場を収めるか…という決断を迫られた時には、自らを納得させるために、
「プライドを捨てて守れるプライドもある。」
と、言い聞かせてきました。
誰しもが、人からよく見られたい…などという類の承認欲求を持って生きています。
そして、それは、必ずしも全てが、悪いことだとは思いません。
しかし、その欲求が、自分を向上させるために作用するのならまだしも、自身を追い詰めるような作用をもたらす時には、私は、拭い去ることが何よりである、と考えています。
介護という問題に関して考えた時に、これまで五体満足で暮らしていた愛する家族が、自力で用を足せなくなったりした時に、介護を受ける側も、与える側も同様に、互いのプライドを尊重したいが故の葛藤を抱くものなのだと思います。
汚物の処理をする側も、される側も等しく、健康な時に感じていた羞恥心を、半ば強制的に剥ぎ取られるような感覚にとらわれてしまうのは、至極当然のことのように思えます。
けれど、人は皆、やがては老いて、身体の自由もきかなくなるものです。
現役時代、どれほど精力的で、快活な人であったとしても、老いは命の続く限り等しく皆に訪れ、それを互いに認め、受け入れていく必要のあるものです。
だからこそ、一瞬一瞬が輝くのだと思います。
そして、輝きを失ったからといって、命の重みに変わりはないはずです。
高齢化社会になり、老人が増えたからといって、決して、ないがしろにしていい命ではありません。
私たちもまた、やがては、同様の道を歩んでゆくのです。
だからこそ、「老い」への道の始まりを切実に認識し、心の準備を自覚することも必要な世の中になってきていると、私は思います。
決して悲観的に老いを嘆くのではなく、それもまた、人生の一部として捉え、体力が若者より劣ってきたと感じたのなら、素直にそれを受け入れ、次のステージを目指す。
例えば、若者に、体力では敵わなくなったとしても、成熟した人格を育むことに徹することは、老いてからでもできます。
また、後進の育成に尽力することもできるでしょう。
幾つになっても、学び、育むという姿勢で生きられれば、いかなる年代の人とでも、交わって互いに尊重し合って生きることは可能です。
長々と綴ってまいりましたが…
今日、みなさんに提示したかった案を、ここで発表させていただきます。(笑)
私は、以上のような事実を踏まえて、中年期から準備できる介護への備えのある一つのパターンを提案したいと思います。
愛する人がいらっしゃる方、また、夫婦としての連れ合いがいらっしゃる方に対しての提案となります。
もし、今現在、そのような間柄の方が身近にいらっしゃらない方は、いずれ、そのような方に出会えた時に、是非、提案してみてほしいと思います。
それは…
互いに、健康な内から、汚物の処理をし合ったり、介護状態になったと仮定して、シミュレーションをしておく、という方法です。
愛するということを、互いに良いところを見せ合うこと、見つめ合うこと、と捉えている方々が多いことと思います。
しかし、「愛する」ということは、決してそれだけではありません。
互いの欠点を補い合うことでもあり、互いの欠点をも含めて思いやることでもあります。
「お金持ちだから、結婚した。」
「ルックスが良いから、結婚した。」
きっかけは人それぞれ自由です。
しかし、それだけでは、男女の関係は継続できません。
互いの思いを打ち明けあい、互いに思い合い、生きてゆかれる人が側にいてくれることほど、心強い人生はないと思います。
将来的に「介護」に直面した時にも、愛をもって互いを尊重し合える関係を、健康な内から見据えて築き上げてゆけるような方に、みなさまが出会えますように、心から願っております。(^-^)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
心から、感謝致します。