「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

人間とは

久しぶりにブログを更新します。(笑)



みなさん、いかがお過ごしですか?(^-^)




「老い」とは、全ての人に必ず起こります。



人は、おぎゃあとこの世に生を受けてから、その命を全うするまでの日々を生きます。



この世に産み落とされた日から、毎日毎分毎秒、「老いること」を始めます。


そして、「死」への旅路を歩み始めます。



幼い頃は、それを「成長」と呼び、ある一定の年齢を過ぎると、それは「老い」と呼ばれるようになります。



その基準は人それぞれであるかもしれませんが…ある年齢までは、人は年齢を重ねることを待ち焦がれ、そして、次第に、それを恐れるようになってゆきます。



きっと、「死」という概念を抱く強さが、日増しに増してゆくのでしょう。



そして、「老い」を感じるようになった人々は、「若さ」に執着するようになります。



自ら、「若さ」を持つ人々は、「老い」を疎ましく思います。



いつか自分がそうなるまでは、何も気付かずに。




「若さ」に執着する人々は、思い出してみてください。



自分にも同じように、若さに輝いていた時間があったことを。


その日々は、消えたわけではありません。



自分の一部と、なっているのです。



そして、そのような日々を通り過ぎ、日増しに皺の増える自分の顔を見て、今の自分をありのまま、受け止めてください。



若かった頃の数々の記憶、思い出と同じように、その頃の自分の輝きもまた、今の自分の中に変わらずにあることを忘れずに生きてください。


「老い」を恥じらうことなく、「老い」を学び味わう心を、大切にしてください。



そして、今の自分をありのまま受け止め、愛し、次なる世代へ、自分の中の愛を放ってあげてください。




「若さ」を自負する人々は、老いた人々を疎ましく思うことなく、彼らの中にある葛藤を、感じてあげてください。



「失う」ということは、誰にとっても恐れを抱かずにはいられないものです。



その恐怖を察し、彼らを慈しんであげてください。



やがては、あなたもまた迎える日々を、一足早く味わっている人々に、優しい笑顔と温もりを分けてあげてください。



高齢化社会により、若い人たちは、自分たちの老後には、公的年金を受給できないかもしれない…などと言われている昨今ではありますが、そんなことは、その時になってみなければわからないはずです。



もしも仮に、そうなったとしても、それは、誰のせいでもないはずです。



誰のせいでもないことで、誰かを責めるのは、おかしなことだと、思いませんか?






人間とは、弱い生き物です。


何かしらの対象を敵視したり、蔑視したりして、自分の均衡をようやく保てる…

そんな身勝手な生き物です。



だからこそ、その弱さを知り、それに打ち勝つ力を養う必要があります。



自分の心の曇りを知り、見抜き、それを拭い去る努力を怠ってはいけない生き物なのです。


自分の心を、見つめていますか?


あなたの心は、曇ってはいませんか?



その曇りは、表面上は、誰か自分以外の人を攻撃しているように見えますが、実際には、自分自身を攻撃しています。



だからこそ、曇りを晴らす努力を怠ってはならないのです。



自分の心を晴らしてくれるのは、



「人に優しくできた時」


「人と笑顔を交わせた時」


「人と理解し合えた時」



きっと、そんな時です。



みなさんもどうか、そんな日々を生きてください。





最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から、感謝致します。