「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

深く自分に潜り込む時

世の中には、次から次に何でも成し遂げてしまう、まるで「スーパーマン」「スーパーウーマン」のような人もいます。


そうかと思えば、ごくごく平凡な人生を、生きる人もいます。


その両者の人生とは、どちらが幸せで、どちらが不幸なのでしょうか?


人生とは、その中から切り取った「一部」を指すものではなく、人にとっての「全て」の流れを指すものだと思います。


ある人にとっては、きらびやかな、輝きに包まれた人生こそが、幸せであることでしょう。


しかし、またある人にとっては、ささやかでも、温かな穏やかさに包まれた人生こそが、幸せであるでしょう。


それは、その人の人生が終える時、その人自身にだけ、自分の人生への審判がくだせるのではないでしょうか。


他者からの評価が意味を成すのは、生きていられる間だけ。


他者の目を気にして、見栄を張ったり、本心を偽って自分を飾る必要があるかのように錯覚するのも、生きていられる間だけのこと。


本当の、自分の願いは、自分の中の一番奥底にあるものを、自分自身で探究し、そこまで辿り着かなくては、気付くことができません。


そして、見つけたものを再び見失わないように、しっかりと握りしめて、離さないように生きなければなりません。



自分の人生が終わる時を見越して、その時自分が悟る全てを、生きている間に、明日が当たり前に来ると思える間に、胸に刻んで生きる。


比べることで得られる幸せは、脆い。

奥深く潜り込むことで得られる幸せは、強い。



何も手にしてはいないことは、決して、恥じる必要などなく、その必要がなかっただけなのだと、気付きました。


言い訳だらけだった人生ですが、自分と向き合い、自己の探究を進める時間を通して、自分が得られた自分への説得力は、絶大でした。(笑)



生き字引のように、自分なりの言葉で、他者の有り様にとらわれることなく、心の眼で人を導き、気付きへの歩みを広げられるように、また、改めて歩み出そうと思います。



私も、頑張って生きています。

皆さまも、どうぞ、それぞれの場所で、お元気で。
(^-^)


悲しむ人が一人でも減ってくれますように、今日、今、この瞬間も、切に願います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。