「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

幸、不幸

こんにちは。

いかがお過ごしですか?




「幸せになりたい。」

と、言う人がいます。


…と、いうことは、その言葉を発している人は、現状に幸福感を感じられていないことになります。




昔、どこかで聞いたことがあります。


「人の一生における、幸、不幸の数は決まっていて、それはちょうど半分ずつだ。」


と。





そして私は、今日もまた、気づきました。(笑)



私は、自分の40年間の人生の大部分において、自分の生まれ育った環境が、世の中の人に比べて大して不運な環境でないにも関わらず、幸福感を感じることができずに生きてきました。



でもきっと、私だけではありませんよね?



本当に不運な環境に生まれ育ち、世の中を憎み、親を憎み、自分を恨めしく思いながら生きていらっしゃる方も、沢山いるはずです。



逆に、たとえば金銭的に恵まれた環境に生まれ育っていながら、愛情に飢え、幸福感を感じられずに生きていらっしゃる方も、沢山いるはずです。



「他人と比べて、自分は不幸だ。」



「幸福感」とは、「自分」が、幸せを感じられているか、いないかによって、変わるものです。


「幸せ」を、自分で見つけて受け取ることができるか、できないか、でもあります。



…と、いうことは、私のこれまでの人生は、



「大して不運なことが起きたわけでもないのに、不幸を選び、受け取っていた人生」



であったわけです。



つまりは、「不幸を消化したこと」になります。(笑)



この先の残りの人生、幸福感を感じられるようになった今、私に残されているのは…



「大して良いことがあるわけではないけれど、幸せを自分で選び、受け取ることのできる人生」



つまり、「幸福」のみと、なります。(笑)



こじつけみたいでしょうか?…






日々を学びの場として生き抜くということは、決して、楽な日ばかりではありません。



いつもいつも、自分を責めてばかりでは、自分が可哀想です。



かと言って、自分を過信して見失えば、また、いつ、自分も人も傷つけてしまうかわかりません。



人との関わり合いの中で、争いを始めることは、た易いことです。

自分を主張し、一方的に相手を否定すれば、それは、必ず争いを呼びます。



しかし、その先に「平和」や「安らぎ」はありません。



それは、一見難しいことのように感じられるかもしれませんが、本当は、とてもシンプルなことです。



「何を、どうすれば、いいのか?」



わからなくなった時のために、覚えておいてください。



「わかり合いたい、という気持ちを大切に

すること。」


「それを、現実にできるような言葉を選んで伝えてあげること。」



それは、自分自身に対しても、他者に対しても、共通です。



願いは、ブレずに、続けることにより、叶えられてゆきます。


そして、願いを叶えるためには、ブレずに、続けること、のみです。



しかし、自分のいのちを守るために、決して、過信はせずに。



現実を見つめる、冷静さも、持っていてください。



いろいろな視点から、「愛」を見つけられるように生きてみてください。



いろいろな視点から、「自分」を、そして、「自分以外の人」を見つけてあげられるように生きてみてください。



やがて必ず、「幸せな自分」に会えます。



そして、「幸せな自分」に会えたなら、その先には、「幸せしか残っていない人生」が続いてゆきます。



その頃にはきっと、わかるはずです。

人生における幸、不幸の数は、半分ずつなんかじゃないはずです。


そんな決まりは、本当はなかったのだ、と。(笑)





悲しむ人が一人でも減ってくれますように、今日も願います。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から感謝致します。


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