後悔に勝つための策
こんにちは、皆さまいかがお過ごしですか?
「今」
自分の目指すもの。
自分の望むもの。
それに、ただ一心に向き合った時、ただただ、漠然と自分の目の前に広がっている景色に愕然としました。
変わらない現実。
変わらない日常。
私は、自分の中にある欲望から目を背け、まるで自分が聖人君子にでもなったかのように、自分の過去を都合よく消し去り、「今」と「未来」だけを生きようとしていることに気づきました。
これだけ自分と闘ってきても、まだ、何も成し遂げていなかったし、何も手にできていなかったのだ…と、愕然としました。笑
私には、消し去りたい「過去」があります。
後悔だらけの、過ぎ去った時間が山ほどあります。
けれど、過ぎ去った時間は、どれだけ努力しても、どれだけ悔やんでも、もう、決して変えることはできません。
「どうしたらいいのだろう。」
あれこれと考えた結果、やっと見つけた答えは、ひとつしかありませんでした。
やはり、私は、生まれながらにして「単細胞」なのですね。(笑)
今、精一杯、やれるだけのことをしよう。
そして、それを、自分の中だけで止めることなく、満足することなく、積極的にアウトプットして、目に見える形で並べて行こう。
「事実の羅列」
を、ひたすら積み重ねよう。
そう思いました。(^-^)
以前から、このブログをお読みいただいています方々には、私自身の情けない弱り様を晒し、過去に並べた様々な御託をまるで嘘偽りであったかのような現状をお見せすることになるかもしれません。
しかし、過去に綴らせていただいた言葉の全てを、今も私は、変わらず思いながら生きています。
それでも、人は、日々変化しています。
良くも、悪くも。
私自身が、その証人でもあります。
「アルジャーノンに花束を」
という小説を、読んだことがありますか?
今、私はまるでアルジャーノンにでもなったかのような気持ちでいます。笑
人はやはり、目に見える成果、目に見える形にして証明してみせなければ、本当の信頼を得ることはできないのかもしれないと、痛感しました。
どれだけ、頑張って生きていても、それを証明しなければならない時というのがあるのだ、今は、そう実感しています。
そして、その必要があるとわかったなら、やるしかないと、そう知りました。
それは、「何かが起きた時」ではなく。
それは、「いつか」ではなく。
「日常の中で、全力で自分自身を証明する。」
それがどういうことなのか、私は、これから、証明するために日々を費やします。
リミットは、おそらく4カ月。
余裕がなくなると、人間とは、自分のことしか考えられなくなってしまうのですね…。
今の私が、まさに、そうです。(笑)
申し訳ありません。m(_ _)m
立派でなくても、決して常に完璧ではなくても、日々、葛藤しながらであっても、愛は必ず、実現できる。
それだけを信じて、その姿を、無様であっても伝えながら生きていきたい。
そう思う、今日この頃です。
拙い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
心から、感謝致します。
悲しむ人が一人でも減りますように、今日も願います。