「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

驕り

こんにちは、いかがお過ごしですか?




あまり深くものごとを考えず、流れに身を任せ、生きる人たちがいます。



自分の行いを振り返り、過ちは正そうと自分を律して生きてきた人たちもいます。




両者は、ある一定の年齢や時期に達すると、「人間性」という面において、大きな差を見せ始めることでしょう。




そして、より深く考えて生きてきた側の人たちの身に、変化が起こり始めます。




「なぜ、皆、自分のように真剣に考えて生きないのか?」



…と。



その疑問に気づいてから、また、目の前の道は、二つに分かれます。



一方の道を歩み出した人たちの心に住み始めるのは、「驕り」です。



自分にできることなのに、いや、自分は努力して行ってきたことなのに、なぜ皆、そのようにできないのだろう…



その想いは、次第に、その人から「他者を尊重する心」を奪い、「驕り」と「偏見」を育て始めます。



私たちが選ぶ道は、そのような道ではありません。



もう一方に、真っ直ぐに伸びる道です。



「私にもできたことなのだから、いつか、この人にも、出来たらいいな。」



そのような穏やかで、寛大な心で、他者を尊重する。



考えの浅い他者から、もしも心無い言葉や振る舞いを受けて憤りを感じても、相手の放つ感情に巻き込まれ、飲み込まれることのないように、自分自身を保つ。



「自分」と「他者」の振る舞いの違いに目を向けて、とらわれるのではなく、常に、



「自分はその時どうであったか?」



と、自分自身を振り返ることを忘れずに。




そして、他者をジャッジしたり、善悪の概念に閉じ込めようとすることは、自分自身に


「驕り」や「慢心」


を生み、育てるだけの無益な行為だと、一日も早く気づきましょう。(^-^)




大切なのは、いつでも、自分の心の成長です。



そして、一番見失ってしまい易いものは、「自分自身の心の状態」です。



思考する上で、不平や不満が芽生えるということは、自分が自分を納得させられていない証拠です。



まずはじっくり、自分自身と対話しましょう。



「心の成長、成熟」は、自分自身に満足した時点で、止まってしまいます。



けれど、考えてみてください。



人間は、神ではありません。

だから、不完全です。



そして、不完全であるからこそ、成長することができます。



日々、自分自身と対話することを怠らなければ、必ず、自分の変化を感じられるでしょう。



そして、好ましくない変化の芽は、小さなうちに摘んでしまいましょう?



自分を律する上で、忘れてはならないことは、「他者にそれを強要しないこと」でもあります。



とても、深く、強い心を育てなければ、継続することは難しいはずです。




頑張っても、頑張っても、ゴールは最初からありません。(笑)



大切なのは、「ゴールにたどり着くこと」ではなく、「ゴールに向かって歩みを止めないこと」だからです。



そして、そのために必要なものは、「素直な心」と、「愛」です。



途中で、なくしてしまわないように、いつも確認しながら、歩みましょう。




頑張りましょう!お互いに。(^-^)




最後までお読みいただき、ありがとうございます。



心から感謝致します。



よい週末を!