愛を込めて。
こんばんは。
いかがお過ごしですか?
愛について考える時、いつも、自分の中の矛盾点に気付かされます。
正確には、気付かされて「いました」。
みなさんは、自分の感情を、じっくり見つめてみたことがありますか?
私は、ずっと自分で思ってきた「恋愛感情」が、実は「恋愛感情」ではなかったことに、最近になって気づきました。
それは、男性に対する「感情」です。
私は、これまで付き合った男性を、決して、異性として、愛してはいなかったことに、気づきました。
そして、今さら、この歳になって初めて、真に人を愛するということを、身をもって知ることになるとは、夢にも思いませんでした。
生まれて初めて、自分以外の誰かを愛するという気持ちをはっきりと理解できた上で、改めて振り返ってみる、これまで異性に対して自分が抱いてきた愛情は、相手が異性でなくても構わない程度のものでした。
言い方を変えれば、それが同性相手であったとしても、構わないものだったのです。
私は、彼らを、男性としてではなく、「人として」、好意的に思ってきたのです。
ですから、関係が破綻して、もう会えなくなってしまうことが、とても辛かった。
本当であれば、恋愛関係など築かずに、ただ、人として、ずっと付き合っていきたかった人たちでした。
しかし、私たち男と女には、性別という、明らかな隔たりがあります。
未熟な私には、「人として好き」と思うことと、「異性として好き」ということの区別が、できませんでした。
それは恐らく、真に、ひとりの人を「愛する」ということを経験したことがなかったからだと思います。
そう自分の感情を見つめ直してみると、改めてわかってくることが、山ほどありました。
「世の中の人たちは、どうだろうか?」
これはきっと、私だけに起きていたことではなく、みんなそうなんだ…そう思えました。
だから離婚率が高かったり、不貞行為をいとも簡単にできてしまったり、性の氾濫が起きたりするのでしょう。
真に一人の人を愛すると…本当の意味で愛を知ると、不思議なことに、自分の中の明確な境界線が見えてきます。
きっと、それは、たまたま私が一番最初に触れた真実の愛が、異性に対して抱いたものであったというだけのことで、「真実の愛に触れる」という経験は、様々な形で、それぞれの人に起こりうることだと、推測します。
そうして、真実の愛に触れ、愛を知ると、その愛以外に散りばめられたそこここにある愛が感じられるようになります。
と、同時に、それが人として抱く愛であるのか、異性として抱く愛であるのか、はっきりとわかるようになるのです。
つまり、より理性的に振る舞うことができるようになります。
ですから、性犯罪が次々起きていたり、セクハラ、性差別、性産業の繁栄といった、問題が山積みの今の社会は、やはり、愛を知らぬが故に、成り下がった悲しい社会であると、私は思います。
その代償として、LGBTの方々への偏見や、その他、数々の、セクシャリティに関する問題が、浮上したのではないか、とも思えてならないのです。
「性愛説」の定義に基づいて考えるならば、「愛」は、ほぼ等しく、常にゼロの地点にあります。
それは、全てを含むと同時に、何ものにも属さないものです。
「愛」を基準に考えるならば、差別や偏見、誤解や、中傷は、その身を自ずと消してゆきます。
存在できなくなります。
とある女性国会議員が、先日、LGBTの方々への支援に関して、「LGBTの人々には生産性がない」として、社会問題になっておりましたが…
そもそも、真に生産性がないのは、国民を代表する国会議員として確固たる地位におりながら、「愛」を示す言葉、感情を持たない彼女自身であると私は思います。
「愛」を知らない己を、社会に露呈してなお、恥じらうことなく、堂々としている姿を観て、悲しくなりました。
私は、思います。
「性愛説」の元に考えるならば、LGBTの人々は、より、愛に深い人たちであります。
性別の垣根を超えて尚、誰かを愛するということは、「愛」を知るがゆえ。
ただ、それだけのこと。
それは、何にも間違ったことじゃない。
そもそも、出産は、人間に与えられた機能の一部でしかありません。
言い方に語弊があるかもしれませんが…
出産は、人間に出来ることの、ひとつに過ぎません。
それは、価値を測ったり、人の優越を示すために与えられた機能では、ありません。
種の保存の為に与えられた、本能の一部であるはずです。
で、あるならば、産んだ子供を平気で傷つけたり、殺めてしまうような世の中の方が、真っ先に正すべきこと、進言すべきことなのではないでしょうか。
それは、なぜなのか…。
なぜ、そのような悲劇が起こるのか。
「愛」を思い出せない人たちが、溢れているからです。
LGBTの人々に対して、彼らを尊重し、その愛に触れ、違いを恐れず、まず、受け入れる。
LGBTの方に限らず、その他の差別や、偏見を受けている人々を、国がまず、理解を示し、率先して受け入れる。
それが、この国の未来への第一歩であるように思います。
その姿勢に、まず、「愛」を感じるきっかけと、「愛」が蔓延してゆくチャンスが、あるように思えてなりません。
自分は、どうでしょう?
愛を知っている人は、あなた自身を、生きてください。
愛に触れたことのない人は、自分と、向き合ってください。
逃げることなく、心の奥の自分を見つめてください。
あなたの中にも、必ず、「愛」があります。
愛で溢れた豊かな未来を、願います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
心から、感謝致します。