「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

性愛説とは


善と悪。光と闇。



私たちは、常に、そのような対極にある端と端との概念の元、思考しております。



中立であることは、時に卑怯であったり、曖昧であるがため、混乱を招いたり致します。



しかし、真実は常に、ものごとの「端」にはなく、その中心、奥底にあるものだと思います。



「愛」というものは、「端」にはありません。


それでいて、どこにでも、存在するものでもあります。



存在のないまま、確実に存在する。




おぎゃあと生まれた時、私たちは、何を思ったでしょう。


母の産道を通って、暗い闇の底から、一人の自立した人間としてこの世に存在した時、何を思ったのでしょう。



今は、混沌とした世の中です。



親から望まれずに生み出され、トイレに捨てられたり、虐待にあいつづけ、その短い命を絶たれたり…様々な命があります。



その全ての命を含め、私たちが生を与えられることのひとつひとつが、奇跡です。



人類が、どのようにして存在するようになったか、死んだらどのようになるのか、その他もろもろの神秘を含めて、「いのち」は奇跡です。



そして、他の数々の動物を差し置いて、私たち「ヒト」がこのように繁栄し、この地球という星の上で重要な役割を与えられていることも、奇跡の一環です。



しかしそれは、実は、仰々しく考える必要のないことかもしれません。



地球上に生まれた最初の人類ではない私たちは、この地球を守り、継続していくことこそが、課題であるはずだからです。



ごくごくシンプルなこと。



奇跡に触れ、奇跡の中で命を与えられた人間として、私たち全ての人に等しく与えられ、同時に、等しく課せられた任務は、「愛」であること。



私は、そう思います。



そして、人には、生まれながらにして、そうできる力が、備わっていると。



それが、「性愛説」です。




「善」と「悪」は、対極のものです。


ですから、どちらかに偏ります。

その時点で、不自然です。


最初、人は、何者でもないはずだから。



「善」も「悪」も、人が見つけた、後付けの概念です。


いわば、目盛りのようなものです。




だとしたら、最初にあったのは、真ん中。




つまり、「ゼロ」の概念とよく似ています。



そして、それを一番似合う言葉で表したら、

「性愛説」となりました。




にも関わらず、全く別の意味で「性愛」という言葉があることに、最初、困惑しました。


私の意図するところとは、全く違う意味であったからです。




人の気持ちを判断することにおいて、常に葛藤がつきまといます。


自分以外の人間の本意というものは、絶対に、絶対に、完全には分かり得ないからです。


これは、全ての人に共通する感覚だと思います。


ですから、善は時に悪にもなり得るし、逆もまた然りです。



立ち位置を変えれば、逆転してしまうかもしれない危うさが、対極という概念には常につきまといます。



ところが、中心にあるものは違います。



全てを含みながら、全てに動じない。




人は、おぎゃあと生まれた瞬間、愛と共に在るのだと、私は思います。



何をもって、愛であるのか。



それは、人により、受け止め方は違うと思います。



しかし、それでいて、等しく言えることは、完全なる愛そのものとして、揺るぎない信念の元、歩む先に悲しむ人はいない、という事実です。



だから、人のことは考えなくて良いのです。


大切なのは、「自分」がどうあるべきかだけなのです。



今、子供たちに、大人が教えるべきは、「善」、「悪」の概念ではないと思います。


何をしたらいけなくて、何をしたらいいことなのか、というのは、人によって、全く違うからです。


本当に教えるべきは、「愛する」ことを感じること。



そのためには、まず、自分自身が、ひとりひとりが、「愛」を思い出さなくてはなりません。



「愛」である自分自身を、誠心誠意、取り戻さなければなりません。



そして、それは、全ての人が、平等で、同じ権利と意味を持つ「同士」であることを真に理解することだとも思います。



言葉を羅列すれば、実に陳腐で、安易で、単純で、滑稽なことになります。(笑)



それはきっと、言葉というものが複雑になり過ぎてしまったせいで、本当のことというのは、それだけ、単純で、シンプルなことだという意味でもあると思います。



既にこんがらがって、めちゃくちゃに絡んでしまった沢山の糸を、スーッと、わけもなくほどくのは、至難の技であると思います。



でも、今こそ、気づき、目覚め、歩み出さなければならない時に差し掛かっているように思えてなりません。




「正義」が「正義」と正しく認識されない、「組織」という集合意識の恐ろしさ。



「愛」をも霞め、歪めてしまいかねない、愛を忘れた社会。




そんなものに、誰一人、負けちゃいけない。




だから、たった一人であっても、声をあげます。



今日から、今から、ここから。



「愛」について、考えてみていただけませんか?



「愛」とは、何でしょうか。



それは、人それぞれでありながら、実は、根底で、全てが繋がっているものであるはず。



必死で思い出してください。



必ず、全ての人が、「愛」を知っているはずです。



愛する人に対する愛情というものは、誰でも、感じやすいものかもしれません。



そうではない、この世の全てのものに対して、愛を抱くとは、どういうことでしょうか。



その時、そこに浮かぶ「愛」とは、どんなものでしょうか。



それを是非、感じてみてください。



長くなりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。



心から、感謝致します。