「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

自分と繋がることの大切さ

みなさん、こんにちは。

いかがお過ごしですか?



何かや、誰かについて考える時、それが「自分本来の意志」ではない時があることに、気づいていますか?



世の中には、情報が溢れています。



そして、それは、あなたの身に実際に起こること以外、全てが、自分以外の人のこと、です。



ところが、人は、錯覚します。



まず、何らかの情報を得た時、それについての印象を持ち、そこから、人それぞれに思いを巡らせます。



受け取り方は本来は、人それぞれでありますが、そこに「集合意識」が加えられることにより、あるべき方向へと、無意識に操作され、導かれるようになっています。



そこに見事に添えた人は、「常識的」であり、添えなかった人は、「非常識」であると判定されがちな傾向にあります。



時には、「非常識」ではなく、「個性的」と受け取られ、逆にもてはやされることもあります。



けれども、それを繰り返していると、自分本来の意志が次第に、わからなくなっていくように思います。




人の意識を、自分のものと認識してしまったり、或いは、人から見た自分の在り方ばかりを、無意識に考えるようになります。



本来の自分の意志は違うのに、人から見た自分は「こうであるべき」とか、「こうであれば、おかしくないだろう。」と判断するようになるのです。



良いパターンではなく、悪いパターンで考えると…



たとえば、「おかしな人」「非常識な人」と他者から判断されかねないような状況に置かれた時、人は無意識に、恐れから、実際の自分自身を偽ったり、隠したり、時には嘘をついたりします。


そうして、上手く自分をなだめたフリをして、人との間に折り合いをつけて、事なきを得る。



しかし、それを繰り返している内に、本来の自分の意志が次第にわからなくなり、それでいて、自分自身に常に無意識の負荷がかかり続けるため、心の病に侵されたり、自ら命を絶ったり、精神のバランスを崩してしまう傾向にあるように思えるのです。



それは、全ての意識をある方向に向けて操作するように仕向けられた、現代の情報過多がもたらした闇だと思います。



「自分」と向き合う力を、見事に狡猾に、誰にも気づかれないように、けれど確実に削いでゆく。




人は、本来、千差万別です。



千人の人がいたら、千通りの考え方があります。



似ているものはあるかもしれません。

けれど、全く同じことは、絶対にありません。





同じ方向に向けて操作してゆくことは、確かに、一番手短な手段ではあります。



けれど、それが他者からの無意識の操作であることに、みんな薄々気づいているのでしょう。きっと、本能的に。



「愛」に基づいたものではなく、「発展」や「繁栄」、「利益」ばかりを目的としているということに。




長い年月を掛けて、徐々に剥奪されていった「自己との繋がり」を取り戻すのは、容易なことではありません。



しかし、それは、不可能ではないと思います。



そのためにも、個の持つ「主体性」を重んじる。



個々を尊重する。



そのような生き方を目指しましょう。



それが、心の健全を取り戻すことに、必ず、繋がります。



先日、ノーベル賞を受賞された方がおっしゃっていました。



「全てに疑いを持つ」



とても、意味のあることだと思います。



疑いを持つことにより、考えることができます。


ある事柄に対して、自分の判断を、自分自身に問うことになります。



それは、紛れもなく、自身との対話の時を持つことになるのです。



諦めずに、

「自分本来の思いとは、どういったものだろう?」



そうゆっくり、焦らず、じっくり見つめる時間を設けてください。



「いくら考えても、よくわからない。」


「どうやって考えればいいのかが、わからない。」



最初はきっと、そう思うでしょう。



でも、諦めずに繰り返し繰り返し、自分に問うのです。



たとえば、誰か苦手な人がいたとして、その人との関係性に悩んだとします。



真っ先に浮かぶのは、相手のせいにするという、選択肢ではないでしょうか。



もし、そうだとしたら、それで本当に自分が納得しているか、それでもまだ、自分自身を疑ってみてください。



相手のせいにして、自分を正当化してやり過ごそうとした時、あなたの中に、本当の意味での満足感はあったでしょうか。



相手を非難して、責める気持ちの裏側のどこを見渡しても、あなたの満足感は、ないはずです。



やり場のない虚しさ。


ほんのわずかではあるけれども、確実にある、得体の知れない罪悪感。



わけのわからない、もどかしさ。



よくはわからない、小さな小さな、悲しみ。



そのような感情のどれかひとつでも、当てはまるものがあるなら、あなたの答えは間違っています。



…と、いうよりは、あなたは、あなた自身の意志に背いています。



あなたは、あなたがずっと思ってきた自分自身よりも、もっと、ずっと、愛に深い人です。



だからこそ、不満を感じたり、自分なりにもがいてきたのでしょう。



そして、本来のあなた自身は、ずっと、あなたの中で縮こまって、泣いています。



あなたに気づいてほしくて。



誰かや、何かのせいにしてやり過ごそうとした時に自分の片隅にあるモヤモヤは、最初からわかりやすい、「シグナル」です。





自分の本来の意志に繋がり、「愛」の元に生きる人が一人増えたら、その人から伝染する「愛」は、幾千、幾万にも広がります。



枝分かれし、幾重にも広がり続けます。



あなたが、たった一人でも自分と向き合い、自分を見つけてくれたら、それはやがては、数えきれないほどの人を「愛」に導くことになるのです。



「人は生まれながらにして、愛そのものである。」



私も、自分から逃げることなく、向き合い続けます。





最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から、感謝致します。