「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

性愛説、提唱。


みなさん、はじめまして。



突然ですが、私は、ごくごく一般的な人間です。人並みに、「良いこと」も「悪いこと」もしました。



今、40歳の女性です。



私が本日より、このブログを通して提唱する「性愛説」の「性愛」の意味することは、一般的に使われているような、「男女間の本能的な欲求」という意味ではありません。

誤解のないように、真っ先にこちらを断言させていただきます。



倫理学上、道徳という観念的に一般的に用いられているのが、「性善説」、「性悪説」であるならば、新たに、世の中に「性愛説」を提唱したいと思いました。


ただの造語です。(笑)



堅苦しい話は抜きにして、参考程度に読み流していただけたら幸いです。



私はこの歳になるまで、全くもって、ただの一度も社会的地位を持ったことはありません。


社会にとって有益な人生であったとも言えません。



この世の摂理から考えて、立場のある方、学識のある方、そういう方々からしたら、机上の空論、くだらない夢見る非常識な提唱であると、聞き流されてしまうかもしれない。


私が、このブログで綴りたいことは、そんな低レベルな戯言かもしれません。


それでも私は、「言論の自由」を約束されたこの日本という国に生まれ、無い頭を絞ったあげく、ようやく達した「自分の在り方」を発信したい。


そんな風に思いました。



人として生まれ、人として死にゆく中で、その道の途中で、たとえわずかであっても、光を放ちたい、そう思います。



私は、無宗教です。


でも、もしかすると、宗教的な観念に通じるものや、思考の傾向上、誤解を招くようなことがあるかもしれません。


それは、人が生きてゆく中で、何らかの、または、誰かの影響を受けずに生き抜くのは無理だから…と、寛容に受け止めていただけたら、幸いです。



また同時に、そう述べた理由は、特別、宗教や思想というものに対して属する姿勢にない人間の言葉であると理解いただいた上で、一切の「偏見」を度外視した、「無」の気持ちでお読みいただけたら、と思ったからであります。



私が発信したいのは、人を追い詰めるために放つ「攻撃の矢」ではなく、誰かを救うための「光の一端」です。



もしも、今後お読みいただく方の中に、不快な思いをされるような方がおりましたら、率直にお言葉をください。




「ゼロ」のタイトルは、「どちらでもないもの」との意味を込めました。



「性愛説」とは…


「人は生まれながらにして、愛そのものである。」


という概念です。



「人の本性は、基本的に善である。」


「人の性は悪なり、その善なるものは偽なり。」


そのどちらにも当てはまらない概念です。


また、そのどちらであっても構わないという概念です。


どちらでもなく、どちらをも含む、との意味です。




人は、なぜ生まれるのか。

なぜ生きるのか、なぜ死ぬのか。



私は、幼い頃からずっと、そんなことばかり考えてきました。




生きることの意味や、自分という存在が持つ意味を知りたくて。




そんな私が、ようやく、自分への答えを導き出し始めました。




本当の「愛」と向き合ったことが、そのきっかけとなりました。



これからは、このブログを通して、一人でも多くの人と出会い、「私」を発信していきます。(笑)





一生懸命、今生を生き抜きましょう。



「あ〜、いい人生だった。」



そう言って、この世を旅立つために。



私も頑張ります。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。