生きる
みなさん、こんにちは。
いかがお過ごしですか?
まず始めに…
私は、「自分」と向き合うことにより、「愛」を取り戻すという方法をみなさんにお勧めしてきました。
しかし、一つ補足があります。
この方法は、まず「大人」が取り組んでください。
子供たちには、決して、無理強いはしないでください。
もしも、あなたのお子さんが、イジメや、その他の人間関係で悩んでいらっしゃったら、その子たちに「愛」を示してあげられるご自分でいてください。
できれば、人の子にも、同じようにしてください。
イジメの只中にいて、命の危険さえも感じている子は、真っ先に、安全な場所に逃がしてあげてください。
そして、それは決して、「逃げる」ことではないと、理解できるよう、接してあげてください。
子供たちは、発達の途中です。
まだ、「自分自身とは何か。」「愛とは何か。」「愛そのものである自分自身に帰る。」という段階にはありません。
まれに、そのスピードが速く、大人を驚かせるほどの子供たちや、若者がいます。
しかし、それは、ごく一部の子たちです。
それができず、方法もわからず、傷つき、苦しみ、悩み、悲しんでいる子供たちがほとんどです。
その子たちを導いてゆくためにも、まず、彼らを無事に「大人」と呼べる年齢になるまで守ることが大切です。
そして、そのためには、「その場から逃がす」という選択肢も必要です。
子供たちの無邪気さ、幼さの側面には、それまでの過程で知り得なかった「無知」であるがゆえの「残酷さ」も時にはあります。
ですから、
「イジメにあうのは、本人にも責任がある」
「自分の力で乗り越えなければ、立派な大人にはなれない」
そのような考えは、私は、危険だと思います。
この「残酷さ」の背景にあるのは、そのようにしか育てられなかった、「愛を知らない大人」の存在があるはずです。
「愛を感じさせてあげられなかった社会」の責任があるはずです。
その重みを、しっかりと受け止め、いじめる側、いじめられる側、双方に関わる大人たちが、逃げずに向き合い、決して諦めることなく、「愛」をもって子供たちを導ける自分となる努力をしてください。
生きていると、様々な事情や、原因や、本当に沢山の問題に突き当たります。
「なぜ、私が?」
「なぜ、うちの子が?」
時には、理由なき暴力を受けることもあるでしょう。
それでも、まず、与えられた命を、守り抜くことを前提に生きてください。
相手を恨む気持ち、許せないという憎しみよりも、「自分を生かす」「人を生かす」という気持ちを胸の奥で育ててください。
悲しみを胸に抱いて生きるよりも、希望を胸に生きることの方が、ずっと、楽に生きられます。
死ぬことは、いつでもできます。
自分の意志でわざわざ死ななくても、人は、必ず、いつか死ぬのです。
全ての人が、です。
だから、
「こんなに苦しいなら、死にたい。」
そんな風に思うなら、まず、その場から、逃げ出してください。逃がしてあげてください。
それからゆっくり、考えても、充分間に合います。
「逃げる事は正しくない。」
それは、違います。
それは、愛じゃありません。
「正しかった」か「正しくなかった」かは、生きた先にその人自身が答えを見つけられることです。
それは、「今」の時点で、誰にも答えはわからないし、誰の出した答えも全て、間違っています。
もし、ずっと先に、
「逃げ出した自分が間違っていた」
と思ったなら、その時から、改めればいい。
だから、そんなことは、心配しなくても大丈夫。
でも、その全てが、
「生きていればこそ、できること。」
です。
子供たちの未来のためにも、今、私たち大人が、「愛」をしっかり、取り戻しましょう。
そして、「愛」を広げ、届けて、包んであげましょう。
「愛」を取り戻すことは、決して容易なことではありません。
時間のかかることもあります。
果てしないほど時間のかかる人もいるはずです。
ですから、「今」問題を抱える人にとって、その時をひたすらに待つことは、勧められません。
「綺麗事」では済まされない現実が、私たちの前にはあります。
でも、諦めたり、投げ出したりしないこと、それが必ず、「実現」に繋がると私は、信じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
心から、感謝致します。