依存
みなさん、こんにちは。
いかがお過ごしですか?
真に、人に愛を示すとは、どういうことでしょうか?
自分がもし、その人の前からいなくなってしまったら、その人が何もできなくなってしまうほど、相手に対して何もかもを惜しげなく施すことでしょうか。
私も、以前は、そうだと思っていました。
「自分を犠牲にしても相手のために身を尽くすこと。」
それが「愛」だと思っていました。
しかし、今になって、ようやくわかりました。
真に人に愛を示すとは、
「もしも万が一、自分がその人の前からいなくなったとしても、その人自身が、自分で考え、気付き、行動できるよう常に在ること。」
つまり、自分自身が相手の「手本」となれるように常に在ることです。
自分を犠牲にしてしまうほど、相手のために何もかも行い、相手から自立心を奪ってしまうことは、愛ではありません。
そこには、
「何もかもやってあげている」
という、与える側の「自負心」があります。
そして、「自己犠牲」があります。
「自己満足」があります。
その結果、それを受けた側との間に生まれるのは、ただの「依存」の関係性です。
もしも、それを受け止めた側がそれを「愛」だと錯覚してしまった場合、その人もまた、同じことを別の人に対して「愛」と間違えて、繰り返してしまうでしょう。
それは、「愛を繋げること」にはなりません。
そのような間違った「愛の示し方」に、どちらかが気付き、その連鎖から抜け出し、真の「愛」を伝えて欲しいと思います。
そして、それは実際に可能です。
全ては、自分が気付き、その連鎖を断ち切る覚悟を持てば、必ず抜け出せます。
「愛」とは、本当の意味で、「自由」なものです。
それは、時に、「孤独感」をも意味します。
けれど、人は、一人でこの世に生まれ、死ぬ時もまた、一人です。
そしてそれは、決して抗いようのない、「自然の摂理」です。
一人で死を受け入れることを拒み、別のいのちを巻き添えにすることは、罪です。
そして、生きている間に起こることもまた、全て、それと同じです。
自分の身に起こることを、自分自身で受け入れ、ありのままを素直に認め、自分自身の力で向き合い、乗り越えてゆくことが、「生きる」ということです。
その時に向き合うべきは、「自分自身」だけです。
そして、その時に必要なことは、「自分」と「他者」、両方を尊重するための「平等性」と「客観性」です。
自分と他者、意識がどちらかに偏れば、必ず、そこには不満が生じます。
「善」「悪」の概念に当てはめようとすれば、必ず、どちらかが「善」になり、もう一方は「悪」になります。
しかし、それは、「誰から見て」なのでしょうか。
見る人が変われば、その「善」「悪」は、逆になり得ます。
すなわち、永遠に答えが定まらないということです。
「善」「悪」ではなく、「愛」を見つめてください。
自分がその行いを続けた結果、向かうであろう方向と生じるであろう可能性を想像してください。
そしてその時、まず、自分が先に変わるという強い意志を持ってください。
自分が、その負の連鎖を断ち切るという強い意志を持ってください。
その意志を持てたら、決して、答えや結果を急がないでください。
答えや結果を見つめてしまえば、その時きっと、怖くなるはずです。
何も変わらないように見える現実や、自分ばかりが損をしているような錯覚ばかりが、目につくはずです。
だから、答えや結果にとらわれず、目の前で起こることに惑わされず、自分を貫く意志を大切にしてください。
一歩一歩、歩むことにのみ、意識を向けてください。
それが、「生きる」ということであり、「愛を繋げる」ということです。
「真に人に愛を示す」ということです。
あなたの大切な人は、もし、今あなたがその人の前からいなくなってしまったら、どうなるのでしょう。
「私なんていなくても生きていかれる」
そんな風に、自分を否定しますか?
「私がいなくなったら、何もできないだろう」
そう、相手を否定しますか?
どちらも、「愛」を示せてはいません。
「私がいても、いなくても、大丈夫。」
そう相手を心から信じられるように、人と接してください。
相手を突き放す寂しい信頼ではなく、自信と希望に満ちた信頼の心で。
世の中には、実際には「愛」に基づいていないのに、実に巧妙に、それができているように振る舞う人たちが大勢います。
「諦め」からは、何も生まれません。
考えて、考えて、苦しみ抜いてもわからなかった人や、途中で面倒になり投げ出した人たちがいます。
最初から、多数派の意見を鵜呑みにし、何が「愛」か、わかった振りをしている人もいます。
自分が向き合ってみれば、本物と偽物の区別がつくようになります。
偽物には、ならないでください。
大切なことは、「自分がどう在るか。」
だけです。
今、負の連鎖の中にいる人、与える側、受ける側、どちらからでも、変わることは、できます。
自分はどうだろう?
まず、あなた自身が、一歩を踏み出してください。
その一歩一歩の過程が、この世界を、やがて大きく変えてくれると、信じています。
悲しむ人が、一人でも減ってくれますように。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
心から感謝致します。