「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

男女差別

みなさん、こんにちは。

いかがお過ごしですか?



「男女間の性差別」

この問題により、様々な悪影響が広がっているのを感じます。



私は、常日頃、女性に対する「性差別」というものに対して、違和感を感じていました。



実際に、恐怖を感じられるような経験をされた女性も多くいられると思いますので、そのような方を非難したり、否定しているのではないことを、事前にはっきりとお伝えさせていただきます。





私が違和感を感じるのは、たとえば、会社という組織において、また、政治という場において、などの公の場において、立場や権力を得る過程において、「女性」であることを逆手にとって、「男性」に対して「逆差別」をもたらしかねない「女性の権利の主張、強要」をする人たちの存在です。



「差別」というものは、日常的に、他者から、ある特定の理由により、理不尽な方法で「尊重」を得られなかった時に存在するものだと、私は思います。



それは、本来は、ない方が良いものです。



しかし、「他者を尊重する心」を全ての人が自覚しながら生きるというのは、現実的にはとても難しいことでもあるでしょう。



これらを踏まえた上で世の中を見ていると、焦点を当てる方向が、そもそも反対であるように見えます。



「尊重されたい」と訴える時、多くの人は、自らが尊重されてこなかった過去について世間に対して主張します。



そこには、悔しさ、悲しさ、理不尽さ、無念さ、など、様々な負の感情が込められているでしょう。



もちろん、それは、人が感じる感情であるから、それを感じるな、と言いたいわけではありません。



でも、それを感じたら、自分以外の人に打ち明け、共感を煽る前にすべきことがあります。



「自分自身に問いかけること」です。



「これは本当に、理不尽な理由で受けた差別だろうか?」



「自分に非は、本当になかっただろうか?」



「自分が自分の権利を尊重してほしいと訴える前に、自分は本当に他者の権利を尊重していただろうか?」





「集合意識」に乗じて、感情の共有を求める前に、一旦立ち止まり、冷静に、そして、客観的に自分を見つめることが大切です。




それをせずに拡散された負の感情は、新たな負の感情を生み出すだけです。




本来は差別などではなかったのに、「差別」を受けたくないという身勝手な願望を世の中にばら撒けば、その結果には、それと同じような思いが広がってゆくだけです。





本来は、「女性差別」などではなく、ただ、その人本人に人として足らない点があっただけなのに、それを身勝手に「女性差別」という概念にあてはめ、男性に対して「男性差別」をしているだけのことになります。




それを受け取り、傷ついている男性が、とても増えているように思います。




そして、その傷を、別の人を傷つけるという方法で解消しようとしている傾向も。



悲しみが広がるだけです。

今すぐ、やめてください。 




SNSが普及した現代社会において、情報を共有する上で、自分自身の発する情報が、世の中にどのような影響を及ぼすことになるか、自分の言動にもっと責任を感じてください。




顔が見えなくても、声が聞こえなくても、少人数でのやり取りであったとしても、「思い」は広がります。




良いものも、悪いものも、全て繋がります。




「自分」の行いが、世の中を少しずつ変えていきます。




自分のとった一時の浅はかな行動、拡散した情報により、自分の知らないところで、見ず知らずの何の罪もなかったかもしれない人が、巻き込まれているかもしれません。




私たちは、その結果を報道やSNSという媒体を通して、幾らでも知ることができます。




それは、まぎれもなく、一つ一つの情報、言動に込められた「悪意」が招いた結果です。




悲しみたくないなら、悲しませないでください。



恨まれたくないなら、恨まないでください。



尊重されたいなら、尊重してください。



愛されたいなら、愛してください。




まず、「自分」が、それに気づいてください。




そして、思いが社会に広がってゆくことをもっと自覚して、全てのものごとに対して、真剣に生きてください。




虚しいのは、うわべの見せかけだけが全てだと勘違いしているからです。



人が冷たいと思うのは、自分が冷たいからです。



でも、それは本当の自分自身ではありません。絶対に。



少なくとも、私は、そう信じています。




自分を常に疑いながら、その疑いを晴らしていけるような自分をいつも生きてください。




本当に、いわれなき理不尽な理由や、誤解で差別を受けながら生きている人も、この世には大勢います。



私は、そのような方々の胸の内を察するには、まだまだ未熟です。




今の私にできることは、そのような思いをせずに全ての人が、尊重しあえる世の中に向かうよう未来へと繋げること。



その願いを、人々に繋げること。



そう願い続けること。



思いが、伝わりますように。





最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から感謝致します。