優劣
こんにちは。
いかがお過ごしですか?
何らかの地位に就いたり、自分が何かを成し遂げた、と自負する心というのは、他者を「尊重」する心というものを曇らせることがあります。
立場や、職責に関わらず、自分は人に善業を施している、人を思いやることができている、という自分の「人間性」に対する自負心も、また、同様です。
他者に対して、自分に関する上記のような内容について自分の口で告げる、または、態度でそれを誇示する人というのは、往々にして、どこかで誰かを傷つけている人です。
それらを相手から感じ取った時、無意識の内に、人は、恐怖、警戒心、圧力、嫌悪感を感じます。
自慢話をする人が、嫌われやすい、というのも、そういった原因からでしょう。
「自分を愛すること」
と
「自分を甘やかすこと」
は、違います。
「自由」
と
「身勝手」
が、似ているようで全く違うのと同じように。
本当に自分を愛して大切に思うなら、そして、そのような生き方が幸せだと思えるなら、自分以外の人にも、同じようにあってほしいと、自然と思うものではないでしょうか?
人との間に権力や地位をかざして、優劣を示し、相手を無言の圧力で押さえつける人がいます。
それはきっと、そうしていないと不安なのでしょう。
自分のコンプレックスを人に悟られないよう、自分の持つ優れた部分を強調し、相手の意識をそちらに集中させることによって、自分を保っているのでしょう。
そして、自分自身をも、騙しているのでしょう。
地位、権力、財産、容姿、学歴…様々な理由により、人は、自分が人より劣っている、優れている、と比較したがります。
自分がもしも、そのような思考の傾向にあると思う方は、一度、もっと広い世界を想像してください。
それは、
「誰と比べて、ですか?」
世の中には、生まれてから死ぬまでの間に、出会える人もいれば、出会うことのないまま、終える人々がいます。
もしも、自分の周りを見渡して、自分が人より勝っている、劣っていると思うなら、それは間違っています。
自分より、もっともっとすごい人もいるし、酷い状況に置かれている人もいます。
あなたが、知らないだけです。
そんなものに頼っていては、きりがないのです。
自分の手にしている何かが、人より勝っていると思っている人なら、自分よりももっと優れた何かを手にした人に出会った時、それを妬ましく思ったり、悔しいと感じることでしょう。
目に見える何かに頼れば、そうなるのは当然のことです。
判断する人によって、その優劣は、幾らでも変わり得るのですから。
自分の持っている「外側」のあらゆる要素を脱ぎ捨てた時、必要とされる人、愛される自分を目指しませんか?
目指す場所が変わると、きっと、自分自身もとても生きやすくなることでしょう。
自分より歳の若い人であっても、立場の低い人であっても、「尊重する心」と「自分を客観視する心」を常に忘れずにいれば、それはできます。
きりのない、行き着く所に不安や恐怖心ばかりしか見出せないような「未来」ではなく、充足感や、生きる意味を見出せるような「未来」を自分自身に選ばせてあげてください。
反対を向いて歩まないでください。
人と自分を比較するのは、人と自分が皆それぞれ違うのは、その違いを羨んだり、妬んだり、誇示したり、誇らしく思うためにあるのではありません。
お互いの違いを尊重し、認め、許すためにあるのです。
人は皆、誰かより優れてはいません。
そして、誰かより劣ってもいません。
皆、全ての人が等しく、大切ないのちです。
だから、誰かの上に立とうとする支配、抑圧の心や、誰かに支配、抑圧されている恐怖心や、苦しみが一つでも、消えてくれますように、
傷つく人が、一人でも減ってくれますように、
今日も、願います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
心から感謝致します。