精神の疲労と身体の疲労
こんにちは。
いかがお過ごしですか?
鬱病の症状の一つに「倦怠感」があります。
大辞林 第三版の解説によると…
「倦怠感」とは
「心身の疲れによって、だるく感じること。」
とされております。
私は、「疲労」には2種類あると思います。
一つは、「身体の疲労」
もう一つは、「精神の疲労」
です。
そして、この二つは相互に作用していて、一方が自分の許容範囲を超えると、それに伴いもう一方が発動するシステムになっているのではないか、と考えました。
つまりは、「錯覚」が起きるのではないか?と。
私の考えでは、「鬱病」等の心の病に侵される経緯は2種類あると考えられます。
どういうことかというと…
たとえば、充分な食事、睡眠等のままならないような過酷な状況で、日夜勤勉に生きることが習慣となってしまうと、これにより、身体に相当な負荷が絶えず掛けられてしまいます。
「日本人は働き者が多いから、気づかぬうちにストレスを抱え、心を病んでしまう。」
と、往々にして考えられてきましたが、実は、これは、「心」の疲労ではなく、元々は、単なる「身体疲労」なのではないか、と考えました。
「身体疲労」が重なってゆく状態に気づかず、そのままの状態で放置すると、やがて、
そのせいで、様々な状況で負の感情が湧きやすくなってゆきます。
これはつまり、身体疲労が重なった結果、「精神」が「自分も疲労した」と錯覚してしまうことにより、ネガティヴな発想をもたらすことになります。自ら、マイナスに向かっていこうとしている状態です。
疲労の蓄積のない、健全な状態の時には抱かなかったはずの対象に対してまでも、苛立ちや、ストレスを感じるようになります。
その状態をそのままにしておくと、自分から相手を思いやれるような心のゆとりは、次第にせばめられてゆきます。
そして、人間関係ももちろん悪化してゆくでしょう。
つまり、
元々は、
「人間関係のトラブルが原因で精神に異常をきたしたのではなく、単なる身体疲労が重なったことによる身体の悲鳴を無視してしまったがために、知らず知らずのうちに人間関係も上手くいかなくなってしまっていた。」
と、逆に発想してみました。
順序は、元々は逆であったものを、脳が時系列で正しくならべられなくなってしまっているため、人間関係のトラブルが発端であったと、都合よく関連づけてしまったのです。
このようなケースの「鬱病」の方は、身体疲労を解消してあげることで、徐々に改善されてゆくことが見込めるはずです。
より深刻な状況なのは、もう一方です。
「精神の疲労」が発端で、「身体疲労」を引き起こしている状態の人を指します。
これが、冒頭に書きました、「倦怠感」の原因です。
精神的に未熟で、思考の歪みを自身が認識できず、
「〜であるべき」
「〜でなければならない」
といった風な自分なりの枠の中で生き続けていると、当然ながら、他者に対する否定の念が絶えず自分の中に湧き続けます。
それを、「本来の自分自身」は、決して快くは思ってくれません。
つまり、無意識のうちに自分で自分の意志に背いてしまっていることになります。
これにより、より精神的に疲弊してゆき、思考が歪んでゆく、という負の連鎖が、その人の中で起こってゆきます。
すると、身体が、もう一方のケースとは逆の連動を起こします。
本来は疲労していないのに、身体が「自分も疲労している」と錯覚してしまうことになります。
そして、実際に、「倦怠感」という症状として外側に出てしまう…というわけです。
脳の錯覚であるため、周りで見ている人からしたら、何も身体を動かしていないのに疲れるなど、「甘え」にしか見えないかもしれませんが、当人にとっては、実際に相当量の身体的疲弊も感じている可能性がある、ということです。
状態をより悪化させないためには、「愛をもって理解してあげること」が大切です。
以上のように、私は考えてみました。
これに基づいて考えれば…
このような状態を自分で事前に回避するための冷静で客観的な自己判断が必要になります。
また、そのためには、自分の状態を常に見極めることが必要になります。
自分の日頃発する言葉、抱く感情の傾向を探してみてください。
もしも、それが「負の傾向」にあったら、そのまま生きていくと、必ず、何かしらの壁に当たる時が来るでしょう。
その時に思い出してくださっても構いません。
今、自分には必要ない、と考えている方がいらしたとしても…
自分が苦しくてたまらなくなった時、フッと頭の片隅に入れておいてくださったら、幸いです。
「人は、複雑に思考し過ぎている。」
と、私は思います。
本来は、もっともっと、シンプルでいいはずです。
「楽しいことは、楽しい。」
「嬉しいことは、嬉しい。」
「悲しいことは、悲しい。」
「寂しい時は、寂しい。」
それでいいはずです。
それを、「自分」を軸に思考することが難しくなってしまうほど、「他者」を意識し過ぎてしまうと、違和感が生じてきます。
「疲れた」
と、思ったら、ゆっくり休んでください。
「身体を動かしてないのに、疲れていておかしいな…」
と、思ったら、自分の心を見つめてください。
自分の身体の声に耳を傾け、自分の心の声に耳を傾け、バランスを保ってあげてください。
優しくいたわることと、自分を甘やかすことは、違います。
人をいたわることと、人を甘やかすことも、違います。
前から見たら、次は後ろから。
右から見たら、次は左から。
自分の考えを見つめたら、次は相手の立場に立ってみる。
最初は、難しく感じられるかもしれません。
でも、不思議なことが起こり始めていたことに、ある日突然気付くでしょう。
人の心を感じられるようになってゆくと、相手の表情が和らいでゆき、やがて、苦手だった相手のことも少しずつ理解できている自分に気付く日が来るでしょう。
日々の積み重ね、小さな気付きの積み重ねが、自分を大きく変えてくれます。
大切なあなたの人生を、あなた自身の手で、生き抜いてください。
ただし、「理想」と「現実」を繋ぐ過程において、決して、「自分」も「他者」も過信することだけは、ないように気をつけてくださいね?
自分を守れるのは、最終的には、自分だけです。
一瞬の気の緩みが、大変な事態を招くかもしれない危険性だけは、必ず、いつも念頭に置いて生きてください。
悲しむ人が一人でも減ってくれますように、今日も願います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
心から、感謝致します。