「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

クレプトマニア〜ある女性の話〜

こんにちは。

いかがお過ごしですか?



数日前から、テレビで度々、元マラソン選手の女性の「クレプトマニア」という心の病について取り上げられているのを見ていました。



あまり、特定の方を取り上げて、記事を書くことはしたくありませんでしたが…



この不思議な病について、私なりの見解がございましたので、今日はあえて、それを記事にさせていただくことにしました。



もちろん、みなさんなりの見解があるとは、思います。



これから述べることは、彼女に対するみなさんなりの見解を否定するためにするのではありません。


あくまでも「発想の転換の契機」として受け止めていただけたら幸いです。




「こんな風に考えるのは、なしですか?」



…しいて言うなら、そのような感じです。




「十人十色」と古くから言われるように、人の思考は、千差万別です。



そして、本来はそれが当然であり、同じであるかのように枠組みしたがるから、そこに問題やリスクが生じるのだろうと思います。



違いを受け止め、受け入れる。



全ての人が、そうできたなら、世の中は、きっと大きく変わるでしょう。




あまり、詳しく詳細を見聞きしたわけでもありませんし、正直言って、「本当のこと」というのは、自分が実際に目の前で経験したこと以外は、「幻」のようなものであると、私はいつも考えてきました。



ですから、過剰な期待や、油断は、自分の実体験に基づく感覚以外に対しては抱かないように、自分自身を保って生きてきました。



そうでなければ、私は、全ての人を信用してしまうほどの「お人好し」でしたから。(笑)



けれど、自分の警戒心の低さ、浅はかさが、もしかすると、人に、させなくていい罪を犯させてきたのではないか…とも今は思えています。



だから、


「警戒心を常に忘れずに生きてください。」


というメッセージは、私の人生を通して痛感してきた、最大限の自己防衛法であり、また他者防衛法でもあります。(笑)



…と、ここまで、本題に入るまでの段階で、既にこれだけ多くの前置きをしてきました点からも、私の警戒心の強さを垣間見ていただけるのではないでしょうか?(笑)



失礼致しました。



それでは、本題に戻らせていただきます。


前提として、全ての「クレプトマニア」という病の原因と背景が、同じであるとは考えられません。


これは、あくまでも、元マラソン選手の方の例に限って、と添えさせていただきます。



彼女は、必死のトレーニングや、過酷な体重調整を何年もの間、経て、それによる「報酬」として本人が認識してきたお金を、心無い人の裏切りによって、失ったそうです。


その際、「恋愛」という形を擬似的に経験させられ、相手の方と「結婚しよう」とまでしていたということは、恐らくは、彼女は彼を愛したのでしょう。



ところが、相手は、彼女を騙すつもりで最初からいたのか、途中からそう思ったのかはわかりませんが、結果的に、彼女の信頼を裏切りました。


そして、お金を奪って、彼女の元を去りました。


彼女は、その経験を経て、「クレプトマニア」という病になりました。



私は、彼女が会見で語る様子を見て、彼女の言葉を聞いていて、以下のように思いました。



彼女は、自分を裏切った人のことを、理解したかったのだと思いました。



人の物を取る、盗むということが、悪いことだということは、頭ではわかっている。



けれど、実際に、彼女は、一番愛した人に、それと全く同じ仕打ちを受けました。



その罪を、自分も体感することで、彼の立場になって、彼の心理を擬似体験しようとし、そして、それが客観的に社会からどのように認知されるかを確かめ、彼を理解しようとしているのではないでしょうか。




「それは、確かにいけないことなんだ。」


「でも、いけないとわかっていることをなぜ彼は私にしたのだろう?」


「それができる心理状態とは、どんな感覚なのだろう?」


「私は、彼の本心が知りたい。」


「彼と同じ立場になって、彼を理解したい。」


「そして、私も、この苦しみや憎しみから解放されたい。」



…正直な話をすると、これ以上の深い理解を、彼女に対して、してあげられませんでした。


私には、同じ経験をしたことがないからです。


ですから、彼女の、行動に病名がつけられるほどの苦しみを、私は、「彼女への理解」という形でしか、伝えられません。


本当に、それが残念でなりません。




私は、それが犯罪として実行に移されてしまう前に、なんとかしてあげられなかったのか?と、思います。


もちろん、閉鎖された空間や、限られた人数の空間で、問題のある人と対峙する、という恐怖感は持っていてほしいと思います。



しかし、スーパーで、万引き犯として、捕まえる前に、


既に、前回の逮捕により、彼女はその病気のことについて、社会に対して公表していました。


で、あるなら。



「このままお金を払わなくていいの?」


「もっと辛い思いをすることになるよ?」


「お財布は持ってる?」


「お財布にお金は入ってる?」


と、会計のレジまで彼女を連れて行ってあげたらいけなかったのでしょうか?


だって、実際に彼女のお財布にはお金が沢山入っていたというのですから。



私には、それが不思議でなりませんでした。



二度目の逮捕となった今回の事件が明るみになった後、彼女の会見を見て…



「誰かが止めてあげてくれたらなぁ。」



と、思ってあげるだけでも、違うのではないでしょうか?




「理想論」だと、笑われてしまうでしょうか?


私は愚かだと、見下されてしまうでしょうか?



確かに、ある一部分では、「世間知らず」かもしれません。


でも、私は、こうやって生きてきました。


そして、これからもこうやって生きていきます。



自分が願うことを諦めたら、自分の周りから景色が曇っていきそうで、怖いからです。


自分が日々生きる世界だけでも、せめて、輝かせていたいからです。



だから、遠く離れたところからしか、今は願ってあげられないけれど、私は、彼女の心の傷が癒されてゆくことを願います。


そして、彼女の周りで、みんなが彼女に対して、そのように思いながら接してくださることを願います。



そんなことしかできない自分を情けなくも思います。


「所詮ひとごとだから、そう言えるんだ。」


そう思われる方がいたら、それも仕方ないです。事実ですから。



だから、自分の周りでは、せめてそのような思いを人にさせないように、私は生きます。



だから、お願いします。



みなさんも、せめて、自分だけでも、傷つけずに済むように生きる方法を見つけてあげてください。



記事にする前から、このように感情的になってしまうことがわかりながら、今日はあえて、この記事を書きました。




押し付け、強要、というような圧迫感を感じられる方がいらしたら、申し訳ありませんでした。


最後に、念のために補足させていただきます。


全ての心の病の原因は、ひとところにはなく、人それぞれ様々な要因を抱えているはずです。


もしも、身近に同じような病気の方がいらしたら、その方にはその方の「問題」があるはずですので、全てを同じと判断はなさらないよう、改めて、ご注意ください。



ご自分の、命、心の安全にだけは、くれぐれも気をつけてください。





悲しむ人が、一人でも減ってくれますように、今日も願います。



長くなりました。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から、感謝致します。

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