「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

One for All, All for One.

こんにちは。

いかがお過ごしですか?



以前記事の中で、「愛」には二種類ある、と書かせていただきました。



「人間として抱く愛」


と、


「性として抱く愛」



です。



私は、以前から、男性の多くに、この「性として抱く愛」を見失っている状態への恐怖感を感じていました。



「性を軽んじる」



つまり、


「女性への尊重の欠落」


が、男性の多くに見られるように思えます。



これは、昨今社会問題として取り沙汰されているような、



「女性の社会進出」



と、根幹で結びついているように、私には見えます。






某有名大学の学生が、女性に卑劣な行為。


政治家の女性スキャンダル。


幼児への性愛。



社会では、多くの「性の氾濫」が起きています。



そして、その犯罪の多くが、「男性」によるものです。



彼らは、「女性」に失望しているように感じられます。



本来であれば、「愛を向ける存在」に対し、それができずに苦しんでいるように見えます。



「性を軽んじる」



ということは、巡り巡って、自身の内なる愛に抗わざるを得ない、ということです。



それはすなわち、「本来の自分自身の意志に背いている」という無意識の不快感を生みます。



「性」とは本来清いものであることを、人は無意識に知っているからです。



この矛盾による苦しみは、計り知れません。



それが、男性の多くに、「性犯罪」を引き起こさせている要因であると、私は考えてきました。



そして、この苦しみの背景にあるのは、


「女性の間違った権利の主張、強要」


です。



なぜ、私たちに、


「男性」、「女性」


という「性別」が生まれつき与えられているのでしょうか?



それは、違いの「特徴」を知り、互いを「尊重」し合い、受け入れてゆくためではないでしょうか。



「生まれつき違う特徴を持つもの同士が、互いの違いを受け入れた上で、認め合い、尊重し合うこと」



を、目的として、「性別」が与えられるのではないでしょうか。



それを真に理解するためには、真剣に、人を愛することです。



不特定多数の人を性愛の対象として求めれば、「真実」からは、遠のいてゆきます。



たった一人の人を愛し抜くことで、「性として抱く愛」は、おそらく形を成してゆきます。



「One for All,  All for  One .」



という言葉があります。


この言葉には様々な解釈があると思われます。



私が、「性として抱く愛」の在り方を思い浮かべる時にも、この言葉の一つの意図を用いてみなさんに説明することができます。




One for All

たった一人の人のための愛は、

全ての人に向けることのできる愛を育てる。


All for One 

全ての人に向けることのできる愛は、

たった一人、かけがえのない人に捧げる愛を育てる。







「恋愛」という、尊い縁で出逢うことのできた相手と、全力で向き合ってみませんか?



傷つけあったり、求め合ったりするのではなく、守りあったり、与え合ったり…



そのように、目の前にいてくれる人のことを、愛してみませんか?




社会的に見て立場のある男性が、本来であれば、ありとあらゆる面で良識的な判断を求められるはずの男性が、「性」に関わる問題についてのみ判断を誤る場面があります。



その時、その人は、



「人として成熟していても、性としては未熟」


です。



つまり、まだまだ自身を見つめ、成長してゆく必要がある、ということです。




また、「女性」が、「男性」と同じように在ろうとすることは、本来の「女性」の在り方には反しています。



(これは、「性同一性障害」の方のような、生まれ持った個性を否定する見解ではありません。あくまでも、「性」の特徴を述べるための表現であることをご理解いただけたら幸いです。)




「男女平等」



とは、「同じになる」ということではありません。


それなら、この世は、たった一つだけ「性」があれば良いことになってしまいます。



しかし、そうではなく、二つの「性別」が存在しているということは、



「違いを認識した上で、違いを生かした在り方」



を追求する必要があるからです。




「人として抱く愛の成熟の度合い」



と並行して、



「性として抱く愛の成熟の度合い」



も、今一度、見つめなおしてみてください。





表現の中に、もしも誤解を招いてしまうような不適切な表現がございましたら、遠慮なくご指摘ください。



できる限りの節度をもって、自分の言論に責任を持てるように述べているつもりではありますが、それでも、足らぬ点もあるかと思います。



私の主張、見解が、見知らぬ方を傷つけてしまうような不本意なものであることだけは、絶対に避けたいと思っております。



その思いだけでもお汲み取りいただけたら、幸いです。





悲しむ人が、一人でも減ってくれますように、今日も願います。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。



心から、感謝致します。


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