つなぐ
こんにちは。
いかがお過ごしですか?
今日は、「理想」を「現実」に繋げるという感覚について記事を書かせていただきます。
人というものは、自分以外の人に対して、理想的な在り方というものを欲する傾向にあります。
「〜であるべき」
「〜でなければならない」
という感覚です。
しかしながら、これは、自ら実行に移してみた時に初めて、それを行い続けることの難しさというものを理解することができるでしょう。
完璧な人間なんて、いないはずです。
自分は完璧だと思った時点で、その人は、既に完璧ではありません。
なぜなら、「時間」というものが私たちには必ず付いて回るからです。
時の流れというものは、時に優しく、時に厳しくもあります。
しかし、決して、そこから逃れられるものではありません。
「止めることができない」
のなら、その流れを感じながら、乗りこなすことです。
「自然の摂理」は、抗う為にあるものではなく、それと共存するという意識に切り換えることで、意味を成してゆきます。
人もまた、同じです。
自分も他者も、日々、「時間」という自然の摂理に基づいて変化しています。
ですから、柔軟性を欠いて、ある状態に留めてしまうことにより、問題が生じるのは、当然のことでしょう。
そのような抗いようのない事実に基づいて考えると…
「理想」を「現実」と繋ぐという作業が、ある一つの具体的な課題を指し示しているのではなく、「生涯」という流れの中で、常に動かし続けてゆく必要があることを理解していただけると思います。
「理想」を「現実」と繋ぐ…とは、
意識の中に、「思い」、「願い」が浸透してゆく様を実感しながら、その責任に恐れおののくことなく、叶うと信じ、またそう思えている自分自身を信じ、行いに変えてゆくことです。
そして、様々な選択を迫られる状況の中、本来の自分の意思を尊重し、それを叶えてきた自分の実績を並べ、示し、その実績に基づいて理論的に解釈させてあげること。
最初は、小さな実績であるかもしれません。
けれど、たった一度であっても、細やかなことであっても、それは「できた実績」として、自分に理論的に示してあげられる根拠とすることができます。
それは、「失敗」についても同様です。
失敗からは、確かな経験に基づく理論的な改善点を知ることができます。
「なぜ、その失敗は起きたのか?」
原因を究明し、その失敗の根っこにある自分の思考の歪みを認識する。
そして認識できたなら、まっすぐに改善してゆくための思考を意識的に繰り返し行う。
そこに自分の意思を持った選択と、行動に移す勇気が込められた時、人は、「本来の自分自身」と繋がり始めるのです。
どんなに細やかなことでも、たとえ、チンケなことでも(笑)、絶対に気にしないでください。
人と比べないでください。
自分が気づき、行えたことは、自分にしかわからなくていい。
それが「愛に基づいてさえいれば」いい。
基準は、正しいか、間違っているか、ではありませんから。
そのためには、本来の「愛の在り方」についても並行して追求してゆく必要があります。
同時に行いながら、次第に「愛の在り方」が見えてきて、自分自身の行いが誰も傷つける可能性のない方法であったなら、それは、
誰にも認められる必要はありません。
誰かより勝っている必要もありません。
誰かより劣っているなど、考える必要はありません。
実際に行うこと。
それを継続すること。
必ず、冷静に、そして、客観的に、結果を見直し続けること。
流れを感じながら、流れと共存してゆく柔らかな強さを育むこと。
その日々の中で繰り広げられてゆくであろう数々の気づきは、やがて、自分の大きな自信となり、自分の人生の糧となってゆきます。
その時、
「生まれてきた意味」
「生きることの意味」
「生かすことの意味」
その答えが、必ずわかります。
自分なりの、答えが、そこには必ずあります。
そして、本当の人生が始まります。
楽しみながら、その日に向かって、生きましょう。
「完璧な人」を目指す必要は、最初からありません。
「愛を繋げてゆける人」でいてください。
いのちを守ってください。
互いの性を尊重してください。
誰も、これ以上傷つけないでください。
誰も、これ以上傷つかないでください。
温かな太陽の光を、真っ直ぐに受け止めて、心からの穏やかさを繋げられる人でいてください。
「自分ひとりの行いが」、やがては、社会の変化をもたらすことに、気づいてください。
願いを込めて、放ちます。
心の悲しみが癒えることを、願っています。
そして、今日も叶えるための日を精一杯生きる、と誓います。
悲しむ人が、一人でも減ってくれますように。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
心から、感謝致します。