「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

無償の愛

こんにちは。

いかがお過ごしですか?




人に対して、何かを


「してあげてる」


という気持ちは、無意識に相手に、


「してもらっている」

という気持ちを抱かせる、と以前記事の中で書きました。



「してあげてる」

という気持ちは、「おごり」や「自負心」を生み、やがて、それが「不満」に変わってゆきます。


自分がその「不満」に気付き、それを解消する努力をしながら自分をいつも見つめていなければ、次第に不満は大きくなってゆきます。


「してもらっている」

という気持ちは、「依存心」を生み、やがて、それが「当たり前」になってゆきます。その時、人は「自立」から遠のいてゆきます。



「してあげてる」

という気持ちは、それに対して、「見返りを求める気持ち」を含んでいます。



「してもらっている」

という気持ちは、それに対して、「甘え」が含まれています。



そこに、「物、金銭、地位、名誉」などのような「目に見えるものの価値」を介入させることによって、それは、「有償の愛」にならざるを得なくなってしまいます。



そこに、「互いの思考への理解」という人間にとって最大の難問である「目に見えないものの価値」を介入させることによって、それは、「無償の愛」に、なり得る可能性を生みます。



一口に、「無償の愛」と言っても、「目に見える物の価値」に、常に囲まれて生活をしている私たちにとって、それは、人生をかけなければならないほど、難しいことであるのも、また、事実です。



それでも、そこを目指す心持ちで生きるだけでも、意味があると、私は思います。




本当に大切な人に出会えたのなら、自分自身からその人を奪ってしまわないために、


「何が、本当の愛か?」


それを、いつも忘れずに生きましょう。



「わかってほしい。」



ではなく、



「わかってあげたい。」



その気持ちは、必ず、相手に伝わる日が来ます。


そして、「自分」もまた、その気持ちに支えられていることに気づける日が来ます。



私も、今、まさに…

この言葉の意味を噛み締めながら、生きています。



ブログに綴ることにより、自分自身に言い聞かせています。



一緒に、頑張りましょう。



もしも、今はそのように思える人に出会えていなかったとしたら、



「いつか出会う自分のように大切な人のために」



今から準備を始めることも、きっととても素晴らしいことでは?



愛を繋げてゆく人で、いてください。




悲しむ人が一人でも減ってくれますように、今日も願います。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から、感謝致します。



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