「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

過ぎ去った日々

こんばんは、いかがお過ごしですか?




過去を懐かしむ時、今は自分の側にいない人たちを思うと、胸を締め付けられるような気持ちになることがありますよね?


後悔や、寂しさで。




そんな時には、そっと感じてください。



その人たちは、自分の中に、今もいます。

自分の一部となって。




可愛がっていたペットも、愛していた人も、亡くなった人も、みんな同じです。



一緒に過ごした時間の中で、その人たちは、「自分」に沢山のものを与えてくれていたはずです。



失ってしまったことや、もう会えないことを嘆くのではなく、与えてもらったものを見つめ、感じて、命ある限り、一生懸命生きましょう。(^-^)


自分の一部となって、今の自分を育んでくれた愛しい人たちを日々、感じながら。




「過去」は、「過去」です。

過ぎ去った時間が戻ることは、絶対にありません。

失った命が、また蘇ることは、絶対にありません。



そして、私たちは、「今日」を生き、「明日」を生きてゆくのです。



「過去」に縛られ、「過去」を見つめたまま生きている人が、沢山います。



失った過去にとらわれてしまうと、「今」を感じることに対して、感覚が鈍ってしまいます。


「孤独」への向き合い方は、過ぎ去った過去を、きちんと過去として認識し、今と区別することが大切です。



「過去」を「過去」と認識し、「今」ある現状を把握することによって、自ずと人は、「孤独」を受け入れられるようになってゆきます。



大勢の人の中で感じる孤独も、独りぼっちの時に感じる孤独も、どちらもです。



「自分」を確立するために、しっかり、過去と向き合い、孤独と向き合い、乗り越え、「今」、そして、「未来」を生きてください。



自分と向き合い、自分を知った分だけ人は、自分以外の人のことも理解することができるのでしょう。



そして、自分を理解する上で、自分の感じている思いの幅を広げてゆけるほどに、自分以外の人の思いの幅を、理解することができるでしょう。



愛を広げてゆくことも。




悲しむ人が、一人でも減ってくれますように、今日も願います。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から、感謝致します。



おやすみなさい。(^-^)