「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

悲しみ

こんにちは。

いかがお過ごしですか?




私は、自分が「怒り」の感情を感じたり、人が怒っているのを見ている時、必ず、ある感情を同時に感じます。



それは、「悲しみ」です。


分かり合えない、悲しみです。


「わかってもらえない」という前提で、分かり合える人だけを側に寄せて、守り合う人たちがいます。


過去を生きる人。


過去は、確かに過ぎ去ったものです。


けれど、いつもそこから「学ぶ」という姿勢であれば、それは「経験を得た大切な時間」でもあります。


そして、自分の中の時間を進めてゆく意識を持てば、それは全部、自分の力になっていってくれます。



「良い思い出」

「悪い思い出」



その両方を、偏ることなく、力に変える。

そうやって、自分を毎日大切に築いてゆく。



みんなが、過ぎた時間の中で、「失ったもの」ではなく、「得たもの」を見つめられたら、「怒り」という「悲しみ」もまた、自分の「力」に形を変えて人に繋げて行かれます。



もしも、目の前で怒っている人がいたら、その人の胸の奥にある悲しみを感じてあげてください。



それに気づくと、自分の中で、「怒り」と「悲しみ」はほとんど同じ感情であることに気づくはずです。



それに気づいたら、相手の「怒り」の奥にあるのが、「悲しみ」であることもわかってくるはずです。



怒っている人を憎むことはできても、悲しんでいる人を憎むことはできないはずです。



「怒り」を無闇に人にぶつけることは、確かに、間違っています。



それをされた人が、どのような気持ちになるか、どのような傷を負うか、想像できないから、無作為に、人にぶつけることができるのでしょう。



だから、自分が、その傷を、愛に変換して、他の人に繋げてあげましょう?



「怒り」という負のエネルギーを自分で食い止め、歯を食いしばって、その奥に隠されていた「悲しみ」に気づき、それを癒して、別の人に流してあげる。



嫌なことをされたからと、他の誰かに同じ仕打ちをしていたら、巡り巡って、また、もう一度、自分に帰ってきます。



それが循環したら、世の中には嫌な思いをする人ばかりになって、自分も、その一部になるしかなくなってしまいます。



そんな未来は、誰も、望まないはずです。



いつ、どこで、何が起きるかわかりません。



ならば、いつ、どこで、何が起きても大丈夫だと、信じられる世の中であったら、どんなに素晴らしいでしょう。



「自分」が世の中の一部であることを自覚しましょう。


「自分」一人くらい、悪いことをしたって、たいしたことないなんて、思わずに。



「自分」には、世の中を変えられるほどの力があります。



だから、全ての人に、「愛」を取り戻す必要があります。



それは、人のため、だけではありません。

自分自身のためにもです。



愛で溢れた豊かな未来を願います。

そして、悲しむ人が一人でも減ってくれますように。


悲しみが、一つでも癒えてくれますように。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から感謝致します。

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