ぜにのないやつぁ
こんにちは。
いかがお過ごしですか?
突然ですが…
植木等さんの「だまって俺についてこい」という歌をご存知ですか?(笑)
若い方は、植木等さん自身を知らないかもしれませんね…
興味のある方は、是非調べてみてください。
今から約3年くらい前、
「お金がない、お金がない。」
と日々嘆く家族を見ていて、私は、なぜか不意に、この曲を思い出しました。
「お金がない。」
そのように口に出す人が、よくいます。
逆に、
「お金が沢山ある。」
ことを自慢する人もいます。
私は、そのどちらに対しても、何の感情も持ちません。
しいて言うなら…
「へぇ〜。」
と思います。
冷たい人間だと、思いますか?(笑)
私には、その人が、誰と自分を比べているのかが、わからないからです。
手にしているお金の量が増えたところで、また、減ったところで、「人」の価値は変わりません。
お金を沢山持っていても、人を傷つけたり、苦しめたり、悲しませたりしていたら、その人は、寂しい人です。
逆に、お金がなくても、人に迷惑をかけることなく、卑屈になることなく、生きていたなら、その人は、愛に溢れた人です。
お金は、その存在自体を、常に自分とははっきり区別していないと「自分」を見失うことになりかねない力を持っています。
「お金で買えないものはない。」
「愛もお金で買える。」
と、いう人もいるけれど…
そう思っている人がもしいるとしたら、その人自身は既にお金の支配下にあると思わざるを得ません。
お金を自分から切り離した時の、自分自身の存在意義を、見つめ直す必要があると、私には思えます。
「お金がない。」
と、口に出して言われると、聞いている人というのは、なぜか、嫌な気分になります。
これは、意識的にそう感じる人と、無意識的にそう感じる人の2種類に分かれるでしょう。
その違いは、聞いている人の状態、認識によるものなのかもしれません。
ほとんど全ての事柄に関して言えることだとは思いますが…
「負の感情」を言葉にして発した場合、そこに生まれるのは「負のエネルギー」です。
自分がよほど意識的に思考を切り替えていかない限り、これを遮ることはできません。
まずは、お金に対する意識を変える必要があるはずです。
お金は、よほどのことがない限り、黙っていても得られるものではありません。
(以前、「お金と愛の関係性」という記事を書きました。
興味のある方は読んでいただけたら幸いです。)
人の役に立った分だけ、人にはお金が入ってくる…という図式がある、と書きました。
ですから、「お金がない」という認識があるとしたら、また同様に「お金が足りない」という認識がある場合にも、その人は、もっと人に対して、自分に対して、
「愛」を感じる必要があるよ。
というメッセージを受け取っていることになります。
(これは、生まれた家や、境遇を除外して述べています。
あくまでも、「自分がお金を稼ぐ」という上での思考法です。ご注意ください。)
今日の記事の初めに書きましたように、今から約3年前の私は、年の初めに、「黙って俺について来い」の冒頭のフレーズを今後の私のテーマソングにすると勝手に決めました。
「ぜにのないやつぁ 俺んとこへ来い!♪〜」
と息揚々と、笑いながらよく歌っていました。(笑)
「俺もねぇけど、心配すんな。」
この言葉を掛けて、なんとかして、家族の思考の歪みを正し、幸せに導きたかったんだな…と、「過去の自分」を見つめています。
「お金が、ない。」
「お金が、ある。」
お金は、足りる分だけ、あればいいのでは?
沢山お金があっても、何に使うのですか?
目的がないのなら、手にしても余るだけです。
手にしてみたら、目的が見つかるかもしれない?
それも確かに、一理あります。
その人、その人の、自由です。
でも、一番大切なのは、「お金」そのものではなくて、「手にする人自身」です。
つまり、人の命、人の心です。
それをないがしろにして、問題を後回しにして、なりふり構わずにお金を手にしようとするのではなく、まず、自分自身を大切にしてあげてください。
そして、できれば、自分以外の人のことも、大切にしてあげてください。
必ず、できますから。
悲しむ人が一人でも減ってくれますように、今日も願います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
心から、感謝致します。