チャッピー
おはようございます。
いかがお過ごしですか?
私には、忘れられない飼い犬がいました。
名前は…「チャッピー」といいます。(笑)
ポメラニアンという犬種の、オス犬でした。
私が小学校の高学年の頃、両親にチャッピーを買ってもらいました。
知り合いの、そのまた知り合いの家で産まれたチャッピーは、生まれつき未熟児で、とても小さかった。
一緒に産まれたのは、チャッピーの他にもう一匹だけでした。
もう一匹はメスで、チャッピーとは比べものにならないくらい、大きな身体をしていました。
栄養のほとんどを、もう一匹の子にあげてしまったのではないか、と思えるほど、二匹には産まれながらにしてギャップがありました。
「チャッピー」
という名前は、私が付けたのではありません。
子犬を家に連れ帰り、
「名前は何にしようかな〜?」
と、楽しみながら考えている間もなく、翌朝になると、父親によって命名されていました。(笑)
これは、我が家では毎度の茶番であり…
本当に、もっと幼かった頃は、自分のための愛犬の名前を勝手に決められるのは嫌だと泣きながら訴えたものでした。(笑)
しかし、父親の決定は、毎回、絶対に覆ることはありませんでした。
我が家で飼った犬たちの歴代の名前は…
「チャッピー」
「ラッキー」
「リッキー」
…全て、父親による命名です。(笑)
余談ではありますが…
このルールは、私の一人息子の命名の際にも適用されました。
まさか、人の名前をつける時にまで…とは思いましたが、覆すことはできませんでした。(笑)
私は、息子が生まれる前から、子供に付けたかった名前がありました。
「玲央(レオ)」
という名前です。
特別な意味を込めて考えたわけではなかったのが災いし、自分の意向を最後まで通せなかったことが、悔やまれます。
産婦人科での出産を終え、無事に実家に里帰りした翌日…
「名前がないのは、可哀想」
との理由により、我が子は、
「慎太郎」
と名付けられていました。
…石原慎太郎氏から頂いたらしき名です。
子供は1人しか産んでいませんし、父親も、今となっては他界してしまったため、正確な理由や、名前に込められた意味さえ知ることは叶いませんが、私には未だに、もし、もう一人男の子を産んでいたら、その子の名前が、
「裕次郎」
になっていたのか…、知りたくなる時があります。(笑)
話が逸れてしまいました。
申し訳ありません。
チャッピーは、私にとっても懐いてくれました。
誰かがふざけて私をぶとうとしたりする真似をすると、小さな小さな身体で、私を守るために、必死になってくれました。
成犬になっても変わらずに、本当に小さかったので、いつも、コートの胸元にしまって出かけたりしていました。
外で、リードを外してあげてから少し離れて、
「チャッピー!!」
と呼ぶと、身体を少し斜めにしながら走る独特の走り方で、全力で私の所まで駆け寄ってきました。
小さな小さなチャッピーは、いつも、私の一番大切な親友でした。
最期の夜、階段を上って二階の部屋で眠る前に、階段下のゲージの中にいたチャッピーの視線を感じて、途中まで上りかけていた階段を下りて、チャッピーの側に戻りました。
その時見た、瞳が、私は忘れられません。
チャッピーは、少し震えながら、潤んだ目でジッと私を見ていました。
「お前は本当にかわいいねぇ。」
と言って、頭を撫でてから、私は二階に行き、眠りました。
朝起きると、チャッピーはもう亡くなっていました。
私は、亡くなったチャッピーに、その当時一番大切にしていたポーチをプレゼントしました。
私の無二の親友は、未だに、私にとっては、「一番」です。
最高の、「相棒」でした。
だから私は、二度と、「ポメラニアン」は飼わないと決めました。
と、いうよりも、自分の意志では、犬は飼わないと決めました。
私は、チャッピーにもらった山程の溢れる愛を、忘れたくないから。
小さくても、短くても、どんな命にも、「愛」が詰まっているのですね。
今さらながら、考えさせられます。
与えてもらった、沢山の愛に支えられて、自分がここまで生きてこられたことに感謝しかありません。
自分も、誰かに同じようにしてあげられたら。
今日は、何となく、目覚めてすぐに、「チャッピー」を思い出しました。
そして、読んでいただく方に、自分の側に在る「愛」を受け取っていただけたらな…と思いました。
私の話を通して、忘れていた、見つめようとはしていなかった「愛」を思い出すきっかけになっていただけたら幸いです。
失ったものばかりじゃ、ないですよね?
きっと。(^-^)
失った時間、今はいない命、その中から得られたものを自分の糧にしてゆく意識を、大切にしてください。
そこを見つめることも、忘れないでくださいね?…
きっと、忘れてしまっている記憶の中に、今の自分を救ってくれる糧が、あるはずです。
それを、自分で探して、受け取って、自分を育ててゆけるきっかけになるかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
心から、感謝致します。