「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

弱音

こんにちは。

いかがお過ごしですか?



自分が、誰かに対して、一番、愛を示してあげられることがあるとしたら、それは何でしょうか?



一緒に悩んであげることでしょうか?



一緒に泣いてあげることでしょうか?



一緒に苦しんであげることでしょうか?



身代わりになってあげることでしょうか?




もしも、



「死にたい。」



でも、自分の力では死ねない。だから、



「殺してほしい。」



と言われたら、その人のために犯罪者になる覚悟で、命を奪ってあげることでしょうか?



世間では、そのような悲劇を美談のように語る時もあります。




でも、私は、そうは思いません。




人の、一番奥深くに隠されている本当の愛とは、きっと、キラキラ輝くダイヤモンドのように、硬くて、強くて、眩いばかりの光を放っている力だと、私は思います。




人に対して、「本当の愛を示す」とは…



「その人の進む道を、光で照らすこと」



であると、私は思います。



一緒になって弱気になるのではなく、本人が申し訳なくなるほど、共に傷をいたむのでもなく…



いつも変わらずに、凛としていること。



その姿をもって、その在り方を示すことで、人を光へと導くこと。



その為には、一朝一夕では、叶いません。



しかし、強い意志を持って始めれば、必ず、いつの日か、叶えられます。




多くを語らずとも、また、人に媚びへつらうことなどしなくとも、人に自分の強さをひけらかしたりなどしなくとも、その生きる姿勢は、自分からやがて滲み出てくれるようになります。



時には弱気になりながら、それでもまた、自分を信じるための日々を生きる。



不完全である自分を理解しながら、それを補ってゆくための日々を生きる。



その生きる姿勢は、人を、照らします。




自分の弱さを知りながらも、自分に言い訳をしない道を選んでゆく姿は、側にいる人の心を動かします。



悲しい思いをした時に、



「悲しい。」



と言うのは、簡単です。



寒い日に、



「寒い。」



と言うのと、同じです。



口に出して、何かが変わるのならば、いくらでも口に出した方が良いでしょう。



しかし、口に出しても、何も変わらないのなら、口には出さない方が良いでしょう。



自分の弱気を、人に示すだけですから。



そのようなことをしても、自分が更に苦しむだけです。



自分の弱音を、自分の耳で、自分への評価として、聞かせることになりますから。



傷つけられて、腹が立って、悲しくて、どうしようもない時にこそ、



「何くそ!!弱ってたまるか!!」



と、歯を食いしばって、耐えてください。



誰かが発している光を感じたら、眩しさから目を背けることなく、受け止めてみてください。



真っ直ぐに見つめて、考えて、受け止めてください。



必ず、自分のためになります。



自分への言い訳は、もう充分聞き飽きたのではないですか?



私は、もううんざりしました。(笑)



それでもまた、何度でも懲りずにやってくる自分の言い訳を、叱りつけながら、お尻を叩いて、頑張ろうと思っています。



どれほど強そうに見える人でも、たくましく見える立派な人でも、きっと、胸の中は大差ないんじゃないかと、思えてきました。(笑)



それでも、頑張ろうとしている前向きさが伝わるから、その姿勢に人は、勇気付けられているのではないですか、ね?



完璧を目指しても、手が届かぬことを知りながら…



それでも、完璧でありたいって、自分を励ましながら生きることこそが、人生の醍醐味なんじゃないですかね?(笑)




なんとなく、そのように思いました。




羽生さんが負けたから、そう思ったのかもしれません。



「勝って奢らず。負けて腐らず。」



ただただ、立派です。



やはり、人生において一番大切なことは、「結果」ではなく、「過程」なのだと、改めて考えさせていただきました。




今日は日曜日。

みなさんが穏やかな日を過ごされますよう、心から願っております。(^-^)




最後までお読みいただき、ありがとうございます。


心から感謝致します。




☆これは昨夜の夜空です。昨日は、日中あまり天気が良くありませんでしたが、代わりに、夜空に浮かぶ雲がとても綺麗でした。


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