「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

「自律神経」

こんにちは!



今日は、「自律神経」に関して、記事を書かせていただきます。



…とは言いましても、医学的見解は、私のような素人には無理なので、専門的な見解ではなく、「思考」という観点から見た、「自律神経」との関係性について、私なりの意見を述べさせていただきます。



誤った知識等、何らかの問題があるかもしれませんので、正確な知識を必要とされている方が、もしもこの記事に辿り着かれた際には、あらかじめご了承いただけましたら幸いです。



私には、人体の構造や、各神経系組織等への知識は、ありません。ほぼ、皆無とも言えます。



しかし、古くから…



「病は気から」



という言葉もあります通り、近年、「心の病」を患う方が増加の一途にありますことを、大変心苦しく思っておりました。



そこで私が注目したのが、「自律神経」でした。



「自律神経」の乱れにより、人は様々な病気を招くとされております。



このような理由を考えてみた時、まず私は、「自律神経」という名前の漢字に着目しました。



「自律」という漢字を、



「自分を律する」



と読み解きました。




常々、自分の思考の向きや、そのコントロール、はたまた、ストレスから身を守るための「思考法の工夫」について記事を書いてきたつもりでおります。



「幸福感」という観点においても、それは、とても大切なことでありました。




「性愛説」…すなわち、「人は生まれながらにして愛そのものである」という仮説に基づき、その姿が「本来の自分自身」であり、その姿に帰ってゆくことを目的に生きることで、人は幸せを感じられるようになってゆくもの、と考えてきました。



そして、このブログを読んでくださる皆様を励まし、癒し、私自身も共に人として成熟を目指し邁進してゆけたら…との思いで、言葉を連ねて参りました。



そんな中、ふっと…



「自律神経」



という言葉に辿り着きました。




「人というものは、往々にして、表面的に物事を改善すべく思考し、動くもの。」



であると、私には見えてきました。



しかしながら、



「本質を捉え、源を改善してゆくことこそが、全ての問題を解決できる唯一の方法である」



とも、同時に思っておりました。



そのように考えてきた私に、新たな気づきを与えてくれたのが、この「自律」という言葉でした。



心を病んだり、ストレスから体調を崩された方々の多くが、医師により「自律神経の乱れ」を指摘され、その改善のために、食生活、生活習慣を見直すことや、薬物による治療を余儀なくされていらっしゃることと、推測致します。



しかし、「自律」の文字の示す通り、何より必要なのは、



「自分を律する心を育むこと」



であると、私は思います。



その入り口が、宗教を介してであったり、他者を介してであったり、自らの経験を介してであったり、はたまた、一冊の本との出会いを介してであったり…それは、果てしない数、おそらくは、この世に存在する人の数だけパターンは存在するのかもしれません。



しかし、その先に通じる道は、必ず、ひとところで交わり、繋がっているものであると、私は考えてきました。



その先に待っているのは、「愛」であると。




そこにたどり着くために思考することこそが、



「自分を律すること」



に繋がります。



「律する」



という言葉の意味は、



「定める」



とされております。



「定める」



とはすなわち、自らの中に「軸」を置く、とも取れます。



その「軸」を育むことにより、「自律神経」は、揺らぎの幅を狭めると私は推測しました。




木の幹も、同じですよね?



幹が太くなればなるほど、揺らぎを防ぐことができます。




自然界に存在するものを通じて、人の在り方や思考を追求する時、必ずと言っていいほど、共通の理由を導き出せると私が考える理由もまさに、ここにあります。



壁にぶち当たり、自分の進むべき道、選ぶべき選択がわからなくなった時には、自然の与えてくれる生命力を感じ、その源にある概念と同様に素直に生きることが、人間には必要だと思います。




揺らぎの幅が狭まる時、人には不思議な現象が起こります。



その幅から消えてゆくのは、「ネガティブな想念」に限られるという点です。



苛立ちや、腹立たしさ、憎しみ、悲しみが、薄れてゆきます。



ネガティブな感情に飲み込まれる時には、呼吸が荒くなったり、心拍数が上がったりしますよね?



もちろん、感動や、喜びといったポジティブな感情によっても、身体に変化を感じることがありますが、これらの場合には、「不快感」は伴わないでしょう。



つまり、ネガティブな感情により、不快な興奮状態を自らに引き起こすことにより、人は、身体と心を蝕まれてゆくものなのではないでしょうか?



それを、昔の人は、



「病は気から」



というメッセージとして、私たちに残してくれたのではないでしょうか?




自らの精神の向かう先、在り方を追求することは、人が、健康に寿命を全うする上で欠かせないことだと、私は改めて思いました。





自分を律するための第一歩、への足がかりとして…



最近、出会ったことがらの中に、自分の興味、感動を深く味わえたことはありますか?



もしも、心当たりがあるのなら、そこに、あなたの探す答えがあるはずです。



一瞬の感動をないがしろにせず、捕らえて離さないでください。



何気ない日常の一瞬一瞬の中に、自分の可能性は散りばめられています。



もしも、その一瞬に出会えたなら、それについて、深く知ろうと探究し、そして、思考してみてください。



自分の可能性を、自分で広げてあげてください。



必ず、「自律神経の乱れ」は、改善されてゆくでしょう。



そして、朝昼晩の過ごし方は、きちんとその時間帯ごとの自然の変化を感じながら、「生命をいたわる心地」で暮らしてください。



その日々にすっかり慣れた時、きっと、「自分の願い」がわかるはずです。(^-^)



「夢」を抱いていた日々を、取り戻せると思います。


私も、頑張ります!





長くなりました。(笑)


最後までお読みいただき、ありがとうございます。



心から感謝致します。