「ゼロ」〜性愛説を唱えます。〜

「性善説」「性悪説」ではなく、「性愛説」を提唱します。

弱さ

こんにちは、みなさん、お久しぶりです。

(^-^)


めったに記事も書いていないのに、読者登録をしてくださっているみなさま、心から感謝致します。ありがとうございます。



今日は、…フッと「自分の弱さ」と向き合う時間がありました。



短くしか書けませんが、ブログの記事にさせていただきます。



「自分を支えるための何か」を、受け取っていただけたら幸いです。




人間というのは、確かに、生まれてくる時も独り。


そして、死ぬ時もまた、独りきりです。



それは、永遠に変わらない、また、変えることのできない定めです。




でも、それを自らの定めと決められて生まれてきたのなら、せめて、生きている間に起こる数々の出来事くらいは、自分以外の誰かと分かち合っても良いのではないか…と、そんな風に思いました。



それを、分かち合えるくらいの信頼を胸にそっと抱いて生きるくらいの弱さは、忘れずに残しておきたい、と。



だから、「完璧」である必要などないんだ。



自分の「未熟さ」を知るが故に、人は学び続けるのだから。



学ぶことができるのだから。



そんな風に、思いました。




毎日毎日、絶え間なく起こる数々の出来事に、心が揺らいだり、不安になったり、自分との闘いは、尽きません。



そして、自分が闘うのと同じように、人もまた、そんな風に葛藤しながら、毎日を暮らしているのでしょうね。



誰も、みな。




弱いからこそ、支え合わなければ。




そんな風に思う、今日この頃でした。



それでは、また。(^-^)




お読みいただき、ありがとうございました。

心から、感謝致します。